「親分。どうも御無沙汰をいたして居りました。いつも御機嫌よろしゅう、結構でございます」
「おお、お亀さんか。久しく見えなかったね。お蝶坊も好い新造《しんぞ》になったろう。あの子もおとなしく稼ぐようだから阿母《おっかあ》もまあ、安心だ」
「いえ、実はそのお蝶のことに就きまして、今晩お邪魔にあがりましたのでございますが、どうもわたくし共にも思案に余りましてね」
四十女のひたいの皺をみて、半七は大抵想像がついた。お亀は今年十七になるお蝶という娘を相手に、永代橋の際《きわ》に茶店を出している。お蝶は上品な美しい娘で、すこし寡言《むくち》でおとなし過ぎるのを疵にして、若い客をひき寄せるには十分の価《あたい》をもっていた。お亀もこの美しい娘を生んだことを誇りとしていた。その娘について何か苦労が出来たといえば、半七でなくても大抵の見当は付く。親孝行のお蝶が親よりも更に大事な人を見付けだしたという紛糾《いざこざ》に相違ない。稼業が稼業だけに、それをやかましく云うのも野暮《やぼ》だと半七は思った。
「じゃあ、なんだね。お蝶坊が何かこしらえて、阿母に世話を焼かせるというわけだね。まあ、ちっとぐらいのことは大目《おおめ》に見てやる方がいいぜ。若い者のこった、ちっとは面白いこともなけりゃあ稼ぐ張り合いがねえというもんだ。阿母だって覚えがあるだろう。あんまりやかましく云わねえがよかろうぜ」と、半七は笑っていた。
お亀は莞爾《にこり》ともしないで、相手の顔をじっと見つめていた。
「いいえ、おまえさん。なかなかそんな訳じゃございませんので……。なに、情夫《おとこ》でもこしらえたとかいうような浮いたお話なら、おっしゃる通り、わたくしも大抵のことは大目に見て居りますけれども、どうもそれがまことに困りますので……。当人もふるえて泣いて居りますような訳で……」
「おかしな話だな。一体そりゃあどうしたというんだね」
「娘がときどき影を隠しますので……」
半七はやはり笑って聴いていた。若い茶屋娘が時々に影をかくす――そんなことは殆ど問題にならないというような顔をしているので、お亀もすこし急《せ》き込んだ。
「いいえ、それが情夫や何かのこととはまるで訳が違いますので……。まあお聴きくださいまし。丁度この五月の川開きの少し前でございました。一人のお供を連れた立派なお武家がわたくしの店のまえを通りかかりまし
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