かった。妖怪か、人間か、この二つの議論は容易に一致しなかったが、ここに後者の説について有力の証拠があらわれた。町内の鍛冶屋の弟子に権太郎という悪戯《いたずら》小僧があって、彼がその日の夕方に質屋の隣りの垣根に攀《よ》じ登っているところを見付けた者があった。
「権の野郎に相違ない」
人騒がせの悪戯者は権太郎に決められてしまった。権太郎は今年十四で、町内でも評判のいたずら小僧に相違なかった。
「こいつ、途方もねえ野郎だ。御近所へ対して申し訳がねえ」
かれは親方や兄弟子に袋叩きにされて、それから自身番へ引き摺って行ってさんざん謝《あやま》らせられたが、権太郎は素直に白状しなかった。質屋の隣りの庭へ忍び込もうとしたのは、うまそうな柿の実を盗もうがためであって、半鐘をついたり干物をさらったり、そんな悪戯をした覚えはないと強情を張ったが、誰もそれを受け付ける者はなかった。かれが強情を張れば張るほど、みんなにいよいよ憎まれて、自身番では棒でなぐられた。おまけに両手を縄で縛られて、板の間になっている六畳へほうり込まれてしまった。
二
これで問題もまず解決したと安心していた町内の人たちは、その夜なかに又もや半鐘の音におどろかされた。半鐘はあたかも権太郎の冤罪《むじつ》を証明するように鮮かな音を立てて響いた。このあいだから撞木《しゅもく》は取りはずしてあるのに、誰がどうしたのか半鐘はやはりいつものように鳴った。
もうこうなると人間|業《わざ》ではないらしくなって来た。一町内の者はまたおびえて、再び総出で火の見梯子を警戒することになったが、その警戒のきびしい間は半鐘もおとなしく黙っていた。警戒が少しゆるむと、半鐘は又すぐに叫び出した。こんな不安な状態が小ひと月もつづいたので、人間の方も疲れて来た。もうこの上はどうしていいか判らなくなった。
「お寒くなりました」
「おお、半七さんか。まあこっちへ」
自身番にちょうど詰めていた家主が笑い顔をつくって半七を迎えた。それは半七老人が今この話をしている時と同じような、十一月はじめの時雨《しぐ》れかかった日で、店さきの大きい炉には炭火が紅く燃えていた。半七は店へあがって炉に手をかざした。
「なんだか騒々しいことがあると云うじゃありませんか。御心配ですね」
「おまえさんも大抵お聞き込みだろうが、実に困っているんですよ」と、家主は顔をしかめて云った。「どうでしょう。お前さんのお見込みは……」
「そうですねえ」と、半七も首をかしげていた。「実はわたくしも詳しい話は知らないんですが、その権とかいう悪戯小僧じゃないんですね」
「権を縛って置いても、半鐘はやっぱり鳴るんだから仕方がない。で、権は先ず主人の方へ帰してやりましたよ」
この間からの詳しい事情を家主から聞かされて、半七は眼をつむって考えていた。
「わたくしにもまだ見当が付きませんが、まあ何とか工夫して見ましょう。もっと早く出るとよかったんですが、ほかに急ぎの御用があったもんですから、つい遅くなりました。そこで先ずその半鐘というのを一度見せてお貰い申したいんですが、あがって見ても宜しゅうございますかえ」
「さあ、さあ、どうぞ」
家主は先に立って表へ出た。半七は火の見を仰いでちょっと考えていたが、すぐにするすると梯子を伝ってのぼった。彼は半鐘をあらためて又すぐに降りて来て、更に近所を見まわった。火の見梯子から三軒ほどゆくと、そこには狭い路地があって、化け物に出逢ったという囲い者のお北はその路地の中程に住んでいた。路地の奥には可なりに広い空地があって、片隅に古い稲荷の社《やしろ》が祀られていた。あき地には近所の男の児が独楽《こま》をまわしていた。路地を出る時にふと見ると、お北の家には貸家の札が貼ってあった。気の弱い囲い者は化け物におどされて三日目に、早々ほかへ引っ越してしまったと家主が話した。
半七はそれから鍛冶屋の前へ行った。表からそっと覗いてみると、親方らしい四十ぐらいの男が指図して、三人の職人が熱い鉄挺《かなてこ》から火花を散らしていた。その傍でぼんやりと鞴《ふいご》を吹かせている小僧は、この間ひどい目に遭った権太郎だと家主が教えてくれた。権太郎は四角張った顔をまっ黒に煤《くすぶ》らせて、大きな眼ばかりを光らせている様子が、見るからに悪戯そうな餓鬼《がき》だと半七は思った。
「いろいろ有難うございました。まだ少しほかに仕かけている御用がありますから、二、三日中にまた参ります」と、半七は家主に別れて帰った。
ほかに手放すことのできない用を抱えていたので、二、三日という約束が四、五日に延びて、半七はその町内へ足を向けることが出来なかった。すると、四、五日のあいだに又いろいろの事件が生み出されて、町内の人たちを驚かした。
まず第一におび
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