、お供物《くもつ》なんぞを盗み食いしていたのが、だんだん増長していろいろの悪戯を始め出して、そのうちに囲い者の家があいたもんだから、その空店《あきだな》の方へ巣替えをして、またまた悪さをしたんだろうと思います。可哀そうなのは権太郎で、ふだんの悪戯が祟りをなして飛んだひどい目に逢いましたが、兄貴のことは私のほかに誰も知りません。なにもかもみんな猿公の悪戯ということになってしまいました。権太郎もその化け物を退治してから、町内の人達にも可愛がられるようになりましてね。とうとう一人前の職人になりましたよ」
「一体その猿はどこから来たんです」と、わたしは訊いた。
「それが可笑《おか》しいんです。その猿公はね、両国の猿芝居の役者なんです。それがどうしてか逃げ出して、どこの屋根を伝ったか縁の下をくぐったか、この町内へまぐれ込んで来て、とうとうこんな騒ぎを仕出来《しでか》したんですが、だんだん調べてみると、こいつは女形《おんながた》で八百屋お七を出し物にしていたんです。ね、面白いじゃありませんか、ふだんから火の見櫓にあがって、打てば打たるる櫓の太鼓、か何かやっていたもんだから、同じいたずらをするにしても、火の見梯子へ駈けあがって、半鐘をじゃんじゃん[#「じゃんじゃん」に傍点]打《ぶ》っ付けたと見えるんですね。猿公に芝居がかりで悪戯をされちゃあ堪まりませんや。はははははは。わたくしも長年の間、いろいろの捕物をしましたがね、猿公にお縄をかけたのは飛んだお笑いぐさですよ」
「その猿はどうしました」と、わたしは好奇心にそそられて又訊いた。
「その飼主は一貫文の科料、猿公は世間をさわがしたという罪で遠島、永代橋から遠島船に乗せられて八丈島へ送られました。奴は芝居小屋なんぞで窮屈な思いをしているよりも、島へ行って野放しにされた方が仕合わせだったかも知れません。畜生のことですもの、島の役人だって厳重に縛って置いたりするもんですか、どこへかおっ放してしまいますよ」
猿の遠島――こんな珍らしい話を聴かされて、わたしは今日もわざわざたずねて来た甲斐があったと思った。
底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:菅野朋子
1999年6月1日公開
2004年2月29日修正
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