れは湯屋の煙りすらも絶えている真夜中のことで、なにを見誤ったのかちっとも要領を得ないで引き揚げることもある。しまいには人も馴れてしまって、誰かが悪戯《いたずら》をするに相違ないと決まったが、ほかの事とは違うので、そのいたずら者の詮議が厳重になった。
 仔細もなしに半鐘をつき立てて公方《くぼう》様の御膝元をさわがす――その罪の重いのは云うまでもない。第一に迷惑したのは、その町内の自身番に詰めている者共であった。
「自身番というのは今の派出所を大きくしたようなものです」と、半七老人は説明してくれた。
「各町内に一個所ずつあって、屋敷町にあるのは武家持ちで辻番といい、商人町《あきんどまち》にあるのは町人持ちで自身番というんです。俗に番屋とも云います。むかしは地主が自身に詰めたので自身番と云ったんだそうですが、後にはそれが一つの株になって、自身番の親方というのがそれを預かって、ほかに店番の男が二、三人ぐらい詰めていました。大きい自身番には、五、六人も控えているのがありました。その頃の火の見梯子は、自身番の屋根の上に付いていて、火事があると店の男が半鐘を撞くか、または町内の番太郎が撞くことになっていました。それですから半鐘になにかの間違いがあれば、さしずめ自身番のものが責任を帯びなければならないのです。今お話し申すのは小さい自身番で、親方が佐兵衛、ほかに手下の定番《じょうばん》が二人詰めているだけでした」
 佐兵衛はもう五十ぐらいの独身者《ひとりもの》で、冬になるといつも疝気に悩んでいる男であった。ほかの二人は伝七と長作と云って、これも四十を越した独身者であった。この三人は当の責任者であるだけに、町《ちょう》役人からも厳しく叱られて、毎晩交代で火の見梯子を見張っていることになった。彼等が夜通し厳重に見張っているあいだは別になんの変ったこともなかったが、少し油断して横着をきめると、半鐘はあたかもかれらの懶惰《らんだ》を戒めるように、おのずからじゃんじゃん鳴り出した。町役人立合いで検査したが、半鐘にはなんの異状もなかった。その自然に鳴り出すのは夜に限られていた。
 不思議を信ずることの多いこの時代の人達にも、まさか半鐘が自然に鳴り出そうとは思えなかった。殊に人が見張っているあいだは決して鳴らないのに因《よ》っても、それが何者かの悪戯《いたずら》であることは誰にも想像された。おいお
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