いた神崎は、このとき一と足退がってだしぬけに刀を抜いたらしい。なにか暗いなかに光ったかと思うと、茂原はあっ[#「あっ」に傍点]と云って倒れた。神崎はすぐに刀を引いて、一散走りに芝の方角へばたばたと駈けて行ってしまった。梶井と高島は呆気《あっけ》に取られて、しばらく突っ立っていた。茂原は右の肩からうしろ袈裟に斬り下げられて、ただ一刀で息が絶えていた。もうどうすることも出来ないので、二人は茂原の死骸を辻駕籠にのせ、夜ふけに麻布の屋敷までそっと運んで行った。悪場所で酔狂の口論、それが原因で朋輩を殺《あや》めるなどは重々の不埓とあって、屋敷でもすぐに神崎のゆくえを探索させたが、五日十日を過ぎても何の手がかりもなかった。茂原には市次郎という弟があって、それがすぐに兄の仇討を屋敷へ願い出た。
 かたき討は許可された。しかし表向きに暇をやることはならぬ、兄の遺骨を郷里へ送る途中で仏寺に参詣し、または親戚のもとへ立ち寄ることは苦しからずというのであった。つまり仏寺に参詣とか親戚を訪問とかいう名義で、仇のゆくえを尋ねあるくことを許されたのである。弟はありがたき儀とお礼を申し上げて、兄の遺骨をたずさえて江
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