て行ってしまったんですよ」と、番頭は苦笑いをしていた。その傍には何か油紙に包んだ硬《こわ》ばった物が横たえてあった。
「何ですえ、それは……」
「こんなもので……」
 油紙をあけると、そのなかから薄黒い泥まぶれの魚のようなものが現われた。それは刀の柄《つか》や鞘を巻く泥鮫であると番頭が説明した。
「鮫の皮ですか。こうして見ると、随分きたないもんですね」
「まだ仕上げの済まない泥鮫ですからね」と、番頭はそのきたない鮫の皮を打返して見せた。
「御承知の通り、この鮫の皮はたいてい異国の遠い島から来るんですが、みんな泥だらけのまま送って来て、こっちで洗ったり磨いたりして初めてまっ白な綺麗なものになるんですが、その仕上げがなかなか面倒でしてね。それに迂濶《うっかり》するとひどい損をします。なにしろこの通り泥だらけで来るんですから、すっかり仕上げて見ないうちは、傷があるか血暈《ちじみ》があるか能く判りません。傷はまあ好いんですが、血暈という奴がまことに困るんです。なんでも鮫を突き殺した時に、その生血《なまち》が皮に沁み着くんだそうですが、これが幾ら洗っても磨いても脱《ぬ》けないので困るんです。まっ
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