いた。
 蓋をあけても中身はすぐに判らなかった。中にしまってある品は、魚の皮とも油紙とも性《しょう》の得知れない薄黄色いものに固く包まれていた。
「べらぼうに厳重だな」
 包みを解いて熊蔵は思わずあっ[#「あっ」に傍点]と叫んだ。ふたりの眼の前に現われたものは人間の首であった。併しそれは幾千百年を経過したか容易に想像することを許さないほどに枯れ切った古い首で、皮膚の色は腐った木の葉のように黒く黄ばんでいた。半七や熊蔵の眼には、それが男か女かすらも殆ど判断が付かなかった。
 二人は息を嚥《の》んで、この奇怪な首をしばらく見つめていた。

     二

「親分。こりゃあ何でしょう」
「判らねえ。なにしろ、そっちの箱を明けてみろ」
 熊蔵は無気味そうに第二の箱をあけると、その中からも油紙のようなものに鄭重に包まれた一個の首が転げ出した。併しそれは人間の首でなかった。短い角《つの》と大きい口と牙《きば》とをもっていて、龍とも蛇とも判断が付かないような一種奇怪な動物の頭であった。これも肉は黒く枯れて、木か石のように固くなっていた。
 奇怪な発見がこんなに続いて、二人は少なからずおびやかされた。
 熊蔵は彼を香具師《やし》だろうと云った。得体《えたい》のわからない人間の首を持ちあるいて、見世物の種にでもするのだろうと解釈した。しかし飽くまでも彼を武士と信じている半七は、素直にその説を受け入れることが出来なかった。それならば彼はなんの為にこんなものを抱え歩いているのだろう。しかも何故それを湯屋の二階番の女などに軽々しく預けて置くのであろう。この二品は一体なんであろう。半七の知恵でこの謎を解こうとするのは頗る困難であった。
「こいつあいけねえ、ちょっとはなかなか判らねえ」
 番台で咳払いをする声がきこえたので、二階の二人はあわててこの疑問の二品を箱へしまって、着物戸棚へ元のように押し込んで置いた。獅子の囃子も遠くなって、お吉は外から帰って来た。武士も濡れ手拭をさげて二階へ昇って来た。半七は素知らぬ顔をして茶を飲んでいた。
 お吉は半七の顔を識っていたので、武士にそっと注意したらしい。彼は隅の方に坐ったままで何も口を利かなかった。熊蔵は半七の袖をひいて、一緒に下へ降りて来た。
「お吉が変な目付きをしたんで、野郎すっかり固くなって用心しているようだから、きょうはとても駄目だろう」と、半七は云った。
 熊蔵は忌々《いまいま》しそうにささやいた。「なにしろ、あの二品をどうするか、私がよく気をつけています」
「もう一人の奴というのはまだ来ねえんだね」
「きょうはどうしたか遅いようですよ」
「なにしろ気をつけてくれ、頼むぜ」
 半七はそれから赤坂の方へ用達《ようたし》に廻った。初春の賑やかな往来をあるきながらも、彼は絶えずこの疑問の鍵をみいだすことに頭を苦しめたが、どうも右から左に適当な判断が付かなかった。
「まさか魔法使いでもあるめえ。あんな物を持ち廻って、何か祈祷か呪《まじな》いでもするか、それとも御禁制の切支丹か」
 黒船以来、宗門改めも一層厳重になっている。もしかれらが切支丹宗門の徒であるとすれば、これも見逃がすことは出来ない。どっちにしても眼を放されない奴らだと半七はかんがえていた。赤坂から家へ帰って、その晩は無事に寝る。と、あくる朝のまだ薄暗いうち、かの湯屋熊が又飛び込んで来た。
「親分、大変だ。大変だ。あいつらがとうとう遣りゃがった。こっちの手遅れで口惜しいことをしてしまった」
 熊蔵の報告によると、ゆうべ同町内の伊勢屋という質屋へ浪人風の二人組の押し込みがはいって、例の軍用金を云い立てに有り金を出せと云った。こっちで素直に渡さなかったので、かれらは大刀をふり廻して主人と番頭に手を負わせた。そうして、そこらに有合わせた金を八十両ほど引っさらって行った。覆面していたから判然《はっきり》とは判らないが、かれらの人相や年頃が彼《か》の二人の怪しい武士に符合していると、熊蔵は付け加えた。
「どうしても彼奴らですよ。わっしの二階を足|溜《だま》りにして奴らはそこらを荒して歩くつもりに相違ありませんぜ。早く何とかしなけりゃあなりますめえ」
「そいつは打捨《うっちゃ》って置けねえな」と、半七も考えていた。
「打捨って置けませんとも……。そのうちに他《よそ》から手でも着けられた日にゃあ、親分ばかりじゃねえ、この湯屋熊の面《つら》が立ちませんからね」
 そう云われると、半七も落ち着いていられなくなった。自分が一旦手を着けかけた仕事を、ほかの者にさらって行かれるのは如何にも口惜しい。と云って、無証拠のものを無暗に召捕るわけには行かなかった。まして相手は武士である。迂濶《うかつ》に手を出して、飛んだ逆捻《さかねじ》を食ってはならないとも思った。
「なにしろ、お
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