です。相当に道楽もした奴らだとみえて、茶代の置きっ振りも悪く無し、女を相手に鰯や鯨の話をしているほどの国者《くにもの》でも無し、実はお吉なんぞはその色の小白い方に少しぽう[#「ぽう」に傍点]と来ているらしいんで……。呆れるじゃありませんか。それですから奴らが二階でどんな相談をしているか、お吉に訊いてもどうも正直に云わねえようです。私がきょうそっと階子《はしご》の中途まで昇って行って、奴らがどんな話をしているかと、耳を引っ立てていると、一人の奴が小さい声で、『無暗に斬ったりしてはいけない。素直に云うことを肯《き》けばよし、ぐずぐず云ったら仕方がない、嚇かして取っ捉まえるのだ』と、こう云っているんです。ねえ、どうです。これだけ聞いても碌な相談でないことは判ろうじゃありませんか」
「むむ」と、半七はまた考えた。
 黒船の帆影が伊豆の海を驚かしてから、世の中は漸次《しだい》にさわがしくなった。夷狄《いてき》を征伐する軍用金を出せとか云って、富裕《ものもち》の町家を嚇してあるく一種の浪人組が近頃所々に徘徊《はいかい》する。しかも、その中にほんとうの浪人は少ない。大抵は質《たち》の悪い御家人どもや、お城坊主の道楽息子どもや、或いは市中の無頼漢《ならずもの》どもが、同気相求むる徒党を組んで、軍用金などという体裁の好い名目《みょうもく》のもとに、理不尽の押借りや強盗を働くのである。熊蔵の二階を策源地としているらしい彼《か》の二人の怪しい武士も、或いはその一類ではないかと半七は想像した。
「じゃあ、なにしろ明日《あした》おれが見とどけに行こうよ」
「お待ち申しています。午《ひる》ごろならば奴らも間違いなく来ていますから」と、熊蔵は約束して帰った。
 あくる朝は七草|粥《がゆ》を祝って、半七は出がけに八丁堀同心の宅へ顔を出すと、世間がこのごろ物騒がしいに就いて火付盗賊改めが一層厳重になった、その積りで精々御用を勤めろという注意があった。これが半七を刺戟して、いよいよ彼の注意を熊蔵の二階に向けさせた。彼がそれからすぐに愛宕下の湯屋へ急いで行ったのは朝の四ッ半(十一時)頃で、往来には遅い回礼者がまだ歩いていた。獅子の囃子《はやし》も賑やかにきこえた。
 裏口からそっとはいると、熊蔵は待っていた。
「親分、ちょうど好い処です。一人の野郎は来ています。なんでも湯にへえっているようです」
「そうか。それじゃあ俺も一ッ風呂泳いで来ようか」
 半七は更に表へ廻って、普通の客のように湯銭を払ってはいると、まっ昼間の銭湯《せんとう》はすいていた。武者絵を描いた柘榴《ざくろ》口のなかで都々逸の声は陽気らしくきこえたが、客は四、五人に過ぎなかった。半七は一と風呂あたたまるとすぐに揚がって来て、着物を肌に引っ掛けたままで二階へあがると、熊蔵もあとからそっと付いて来た。
「あの、水槽《みずぶね》に近いところにいた奴だろう」と、半七は茶を飲みながら訊いた。
「そうです、あの若けえ野郎です」
「あれは偽者じゃあねえ」
「ほんとうの武士《さむれえ》でしょうか」
「足を見ろ」
 武士は常に重い大小をさしているので、自然の結果として左の足が比較的に発達している。足首も右より大きい。裸でいるところを見届けたのだから間違いはないと半七は云った。
「じゃあ、御家人でしょうか」
「髪の結いようが違う。やっぱり何処かの藩中だろう」
「なるほど」と、熊蔵はうなずいた。「そこで親分。きょうは彼奴《あいつ》らが何だか風呂敷包みのようなものを重そうに抱えて来て、お吉に預けている処をちらりと見たんですが。ちょいと検《あらた》めて見ましょうか」
「そういえば、お吉は見えねえようだが、どうした」
「今時分は閑《ひま》なもんだから、子供のように表へ獅子舞を見に行ったんですよ。ちょうど誰もいねえから一応あらためて置きましょう。又どんな手がかりが見付からねえとも限りませんから」
「そりゃあそうだ」
「なんでもお吉が受け取って、貸し切りの着物棚のなかへ押し込んだようでしたが……。まあ、お待ちなせえ」と、熊蔵はそこらの戸棚を探して、一つの風呂敷包みを持ち出して来た。濃い藍染めの風呂敷をあけると、中には更に萠黄の風呂敷につつんだ二個の箱のようなものが這入っていた。
「ちょいと下を見てきますから」
 熊蔵は階子《はしご》を降りて、又すぐに昇って来た。
「あいつがもし湯から揚がったら、咳払いをして知らせるように、番台の奴に云いつけて置きましたから大丈夫です」
 二重につつんだ風呂敷の中からは、一種の溜め塗りのような古い箱が二個あらわれた。箱は能楽の仮面《めん》を入れるようなもので、底から薄黒い平打ちの紐《ひも》をくぐらせて、蓋《ふた》の上で十文字に固く結んであった。幾分の好奇心も手伝って、熊蔵は急いでその一つの箱の紐を解
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