詞《せりふ》を云いきらぬうちに舞台にがっくり倒れたのを見て、更におどろいて騒いだ。勘平の刀は舞台で用いる金貝《かながい》張りと思いのほか、鞘《さや》には本身《ほんみ》の刀がはいっていたので、角太郎の切腹は芝居ではなかった。夢中で力一ぱい突き立てた刀の切っ先は、ほんとうに彼の脇腹を深く貫いたのであった。苦しんでいる役者はすぐに楽屋へ担ぎ込まれた。もう芝居どころの沙汰ではない。驚きと怖《おそ》れとのうちに今夜の年忘れの宴会はくずれてしまった。
 角太郎は舞台の顔をそのままで医師の手当てをうけた。蒼白く粧《つく》った顔は更に蒼くなった。おびただしく出血した傷口はすぐに幾針も縫われたが、その経過は思わしくなかった。角太郎はそれから二日二晩苦しみ通して、二十一日の夜なかに悶《もが》き死《じに》のむごたらしい終りを遂げた。その葬式《とむらい》は二十三日の午《ひる》すぎに和泉屋の店を出た。
 きょうはその翌日である。
 併しこの文字清と和泉屋とのあいだに、どんな関係が結び付けられているのか、それは半七にも想像が付かなかった。
「そのことに就いて、文字清さんが大変に口惜《くや》しがっているんですよ」と、お粂がそばから口を添えた。
 文字清の蒼い顔には涙が一ぱいに流れ落ちた。
「親分。どうぞ仇《かたき》を取ってください」
「かたき……。誰の仇を……」
「わたくしの伜《せがれ》の仇を……」
 半七は煙《けむ》にまかれて相手の顔をじっと見つめていると、文字清はうるんだ眼を嶮《けわ》しくして彼を睨むように見あげた。その唇は癇持ちのように怪しくゆがんで、ぶるぶる顫《ふる》えていた。
「和泉屋の若旦那は、師匠、おまえさんの子かい」と、半七は不思議そうに訊いた。
「はい」
「ふうむ。そりゃあ初めて聞いた。じゃあ、あの若旦那は今のおかみさんの子じゃあないんだね」
「角太郎はわたくしの伜でございます。こう申したばかりではお判りになりますまいが、今から丁度二十年前のことでございます。わたくしが仲橋の近所でやはり常磐津の師匠をして居りますと、和泉屋の旦那が時々遊びに来まして、自然まあそのお世話になって居りますうちに、わたくしはその翌年に男の子を産みました。それが今度亡くなりました角太郎で……」
「じゃあ、その男の子を和泉屋で引き取ったんだね」
「左様でございます。和泉屋のおかみさんが其の事を聞きまして、
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