様子が急に変って、もう一人の若い男と一緒に、わたくしを散々ひどい目に逢わせまして、それから又遠いところへ送りました。わたくしはもう半分は死んだ者のように茫《ぼう》となってしまいまして、なにをどうしようという知恵も分別《ふんべつ》も出ませんでした」と、お菊は江戸へ帰ってから係り役人の取り調べに答えた。
番頭の清次郎は単に「叱り置く」というだけで赦《ゆる》された。
小柳は自滅して仕置を免かれたが、その死に首はやはり小塚ッ原に梟《か》けられた。金次は同罪ともなるべきものを格別の御慈悲を以て遠島申し付けられて、この一件は落着《らくちゃく》した。
「これがまあ私の売出す始めでした」と、半七老人は云った。「それから三、四年も経つうちに、親分の吉五郎は霍乱《かくらん》で死にました。その死にぎわに娘のお仙と跡式一切をわたくしに譲って、どうか跡《あと》を立ててくれろという遺言があったもんですから、子分たちもとうとうわたくしを担《かつ》ぎ上げて二代目の親分ということにしてしまいました。わたくしが一人前の岡っ引になったのはこの時からです。
その時にどうして小柳に目串《めぐし》を差したかと云うんですか。そりゃあ先刻《さっき》もお話し申した通り、石燈籠の足跡からです。苔に残っている爪先がどうしても女の足らしい。と云って、大抵の女があの高塀を無雑作《むぞうさ》に昇り降りすることが出来るもんじゃあない。よほど身体の軽い奴でなけりゃあならないと思っているうちに、ふいと軽業師ということを思い付いたんです。女の軽業師は江戸にもたくさんありません。そのなかでも両国の小屋に出ている春風小柳という奴はふだんから評判のよくない女で、自分よりも年の若い男に入れ揚げているということを聞いていましたから、多分こいつだろうとだんだん手繰って行くと、案外に早く埒が明いてしまったんです。金次という奴は伊豆の島へやられたんですが、その後なんでも赦《しゃ》に逢って無事に帰って来たという噂を聞きました。
菊村の店では番頭の清次郎を娘の聟にして、相変らず商売をしていましたが、いくら老舗《しにせ》でも一旦ケチが付くとどうもいけないものと見えて、それから後は商売も思わしくないようで、江戸の末に芝の方へ引っ越してしまいましたが、今はどうなったか知りません。
どっちにしても助からない人間じゃあありますけれども、小柳を大川へ飛
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