留守に上がり込んで、奥を覗いたのは悪かった。どうかまあ、堪忍してくんねえ」
火鉢に炭をついでいた金次はたちまち顔色を変えて、唖《おし》のように黙ってしまった。彼の手に持っている火箸は、かちかちと鳴るほどにふるえた。
「あの黄八丈は小柳のかい。いくら芸人でもひどく派手な柄を着るじゃあねえか。尤《もっと》もおめえのような若い亭主をもっていちゃあ、女はよっぽど若作りにしにゃあなるめえが……。ははははは。おい、金次、なぜ黙っているんだ。愛嬌のねえ野郎だな。受け賃に何かおごって、小柳の惚気《のろけ》でも聞かせねえか。おい、おい、なんとか返事をしろ。おめえも年上の女に可愛がられて、なにから何まで世話になっている以上は、たとい自分の気に済まねえことでも、女がこうと云やあ、よんどころなしに片棒かつぐというような苦しい破目《はめ》がねえとも限らねえ。そりゃあ俺も万々察しているから、出来るだけのお慈悲は願ってやる。どうだ、何もかも正直に云ってしまえ」
くちびるまで真っ蒼になってふるえていた金次は、圧《お》し潰《つぶ》されたように畳に手を突いた。
「大哥《あにい》、なにもかも申し上げます」
「神妙によく云った。あの黄八丈は菊村の娘のだろうな。てめえ一体あの娘をどこから連れて来た」
「わたしが連れて来たんじゃないんです」と、金次は哀れみを乞うような悲しい眼をして、相手の顔をそっと見上げた。「実はさきおとといの午《ひる》まえに、小柳と二人で浅草へ遊びに行ったんです。酔うとあいつの癖で、きょうはもう商売を休むというのを、無理になだめて帰ろうとしても、あいつがなかなか承知しないんです。もっともあんな派手な稼業はしていても、銭遣いがあらいのと、私がこのごろ景気が悪いんで、方々に無理な借金はできる。この歳の暮は大御難《おおごなん》で、あいつも少し自棄《やけ》になっているようですから、仕方なしにお守《もり》をしながら午過ぎまで奥山あたりをうろついていると、或る茶屋から若い番頭が出てくる。つづいて小綺麗な娘が出て来ました。それを小柳が見て、あれは日本橋の菊村の娘だ。おとなしいような顔をしていながら、こんなところで番頭と出会いをしていやあがる。あいつを一番食い物にしてやろうと……」
「小柳はどうして菊村の娘ということを知っていたんだ」と、半七は喙《くち》をいれた。
「そりゃあ時々に紅や白粉を買いに行く
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