。お道の枕もとに散らし髪の若い女が真っ蒼な顔を出した。女は水でも浴びたように、頭から着物までびしょ濡《ぬ》れになっていた。その物腰は武家の奉公でもしたものらしく、行儀よく畳に手をついてお辞儀していた。女はなんにも云わなかった。また別に人をおびやかすような挙動も見せなかった。ただ黙っておとなしく其処《そこ》にうずくまっているだけのことであったが、それが譬《たと》えようもないほどに物凄《ものすご》かった。お道はぞっ[#「ぞっ」に傍点]として思わず衾《よぎ》の袖にしがみ付くと、おそろしい夢は醒《さ》めた。
これと同時に、自分と添い寝をしていたお春もおなじく怖い夢にでもおそわれたらしく、急に火の付くように泣き出して、「ふみが来た。ふみが来た」と、つづけて叫んだ。濡れた女は幼い娘の夢をも驚かしたらしい。お春が夢中で叫んだふみ[#「ふみ」に傍点]というのは、おそらく彼女の名であろうと想像された。
お道はおびえた心持で一夜を明かした。武家に育って武家に縁付いた彼女は、夢のような幽霊ばなしを人に語るのを恥じて、その夜の出来ごとは夫にも秘していたが、濡れた女は次の夜にも、又その次の夜にも彼女の枕もと
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