なかには春の夜のなまあたたかい空気が重く沈んで、陰ったような行燈《あんどん》の灯はまたたきもせずに母子《おやこ》の枕もとを見つめていた。外からは風さえ流れ込んだ気配が見えなかった。お道はわが子を犇《ひし》と抱きしめて、枕に顔を押しつけていた。
現在にこの生きた証拠を見せつけられて、松村も小幡も顔を見合わせた。それにしても自分たちの眼にも見えない闖入者《ちんにゅうしゃ》の名を、幼いお春がどうして知っているのであろう。それが第一の疑問であった。小幡はお春をすかしていろいろに問いただしたが、年弱《としよわ》の三つでは碌々《ろくろく》に口もまわらないので、ちっとも要領を得なかった。濡れた女はお春の小さい魂に乗りうつって、自分の隠れた名を人に告げるのではないかとも思われた。刀を持っていた二人もなんだか薄気味悪くなって来た。
用人の五左衛門も心配して、あくる日は市ヶ谷で有名な売卜者《うらないしゃ》をたずねた。売卜者は屋敷の西にある大きい椿の根を掘ってみろと教えた。とりあえずその椿を掘り倒してみたが、その結果はいたずらに売卜者の信用をおとすに過ぎなかった。
夜はとても眠れないというので、お道は
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