ふいちやう》しない方がいゝぞ。」と、Kのをぢさんは話の終りに斯う附け加へた。
 この話の濟む頃には夜の雨もだんだんに小降りになつて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠つたやうに鎮まつた。

 幼いわたしの頭腦《あたま》にはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考へるとこれ等《ら》の探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、それ以上の人を衝動するやうな彼の冒險仕事はまだまだ他に澤山あつた。彼は江戸時代に於ける隱れたシヤアロツク・ホームズであつた。
 わたしが半七によく逢うやうになつたのは、それから十年の後で、恰《あたか》も日清戰争が終りを告げた頃であつた。Kのをぢさんは、もう此の世にゐなかつた。半七も七十を三つ越したとか云つてゐたが、まだ元氣の好い、不思議なくらゐに水々しいお爺さんであつた。息子に唐物商《とうぶつや》を開かせて、自分は樂隱居でぶらぶら遊んでゐた。わたしは或《ある》機會から、この半七老人と懇意になつて、赤坂の隱居所へたびたび遊びに行くやうになつた。老人はなかなか贅澤で、上等の茶を淹れて旨い菓子を食はせてくれた。
 その茶話《ちやばなし》のあひだに、わたしは
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