しく濕《ぬ》れてゐた。幽靈の顔や形は女小兒を悸《おび》えさせるほどに物凄く描いてあつた。
 をぢさんはぎよつ[#「ぎよつ」に傍点]とした。その幽靈のもの凄いのに驚くよりも、それが自分の頭のなかに描いてゐるおふみの幽靈にそつくりであるのに脅《おびや》かされた。その草雙紙を受取つてみると、外題《げだい》は新編うす墨草紙、爲永瓢長作と記してあつた。
「あなた、借りていらつしやい。面白い作ですぜ。」と、半七は例の眼で意味ありげに知らせた。をぢさんは二冊の草雙紙を懐中に入れてこゝを出た。
「わたしもその草雙紙を讀んだことがあります。きのふあなたに幽靈のお話をうかゞつた時に、ふいとそれを思ひ出したんですよ。」と、往來へ出てから半七が云つた。
「して見ると、この草雙紙の繪を見て、怖い怖いと思つたもんだから、たうたうそれを夢に見るやうになつたのかも知れない。」
「いゝえ、まだそればかりぢやありますまい。まあ、これから下谷へ行つて御覽なさい。」
 半七は先に立つて歩いた。二人は安藤坂をのぼつて、本郷から下谷の池の端へ出た。けふは朝から些《ち》つとも風のない日で、暮春の空は碧い玉を磨いたやうに晴れかゞやい
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