ふいちやう》しない方がいゝぞ。」と、Kのをぢさんは話の終りに斯う附け加へた。
 この話の濟む頃には夜の雨もだんだんに小降りになつて、庭の八つ手の葉のざわめきも眠つたやうに鎮まつた。

 幼いわたしの頭腦《あたま》にはこの話が非常に興味あるものとして刻み込まれた。併しあとで考へるとこれ等《ら》の探偵談は半七としては朝飯前の仕事に過ぎないので、それ以上の人を衝動するやうな彼の冒險仕事はまだまだ他に澤山あつた。彼は江戸時代に於ける隱れたシヤアロツク・ホームズであつた。
 わたしが半七によく逢うやうになつたのは、それから十年の後で、恰《あたか》も日清戰争が終りを告げた頃であつた。Kのをぢさんは、もう此の世にゐなかつた。半七も七十を三つ越したとか云つてゐたが、まだ元氣の好い、不思議なくらゐに水々しいお爺さんであつた。息子に唐物商《とうぶつや》を開かせて、自分は樂隱居でぶらぶら遊んでゐた。わたしは或《ある》機會から、この半七老人と懇意になつて、赤坂の隱居所へたびたび遊びに行くやうになつた。老人はなかなか贅澤で、上等の茶を淹れて旨い菓子を食はせてくれた。
 その茶話《ちやばなし》のあひだに、わたしは彼の昔語を色々聽いた。一冊の手帳は殆ど彼の探偵物語で填《うず》められてしまつた。その中から私が最も興味を感じたものをだんだんに拾ひ出して行かうと思ふ、時代の前後を問はずに――



底本:「定本・半七捕物帳 第1巻」同光社
   1950(昭和25)年1月25日初版発行
入力:小山純一
校正:浜野智
1998年7月9日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全18ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング