子さんからなんにも言われたこともなく、わたしからもなんにも言ったことはありません。」
 奥さんもこう申立てたそうです。
「娘が山岸さんを恋しがっているらしいのは、わたくしも薄々察しておりまして、もし出来るものならば、娘の望みどおりにさせてやりたいと願っておりましたが、二人のあいだに何かの関係があったとは思われません。」
 ふたりの申口が符合しているのをみると、伊佐子さんは単に山岸の帰郷を悲観して、いわゆる失恋自殺を遂げたものと認めるのほかないことになりました。猫を殺したのも伊佐子さんの仕業で、劇薬の効き目を試すために、わざと鰻に塗りつけて猫に食わせたのであろうと想像されました。猫の死骸を解剖してみると、その毒は伊佐子さんが飲んだものと同一であったそうです。
 ただ判りかねるのは、伊佐子さんがなぜあの猫の死を証拠にして、山岸が自分たち親子を毒殺しようと企てたなどと騒ぎ立てたかということですが、それも失恋から来た一種のヒステリーであるといえばそれまでのことで、深く詮議する必要はなかったのかも知れません。
 そんなわけで、山岸は無事に警察から還されて、この一件はなんの波瀾をもまき起さずに落着
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