でもない事だが、試験場におけるわたしの席は毎年変っている。しかもかれは同じように、影の形に従うがごとくに、私の前にあらわれて来るのだから、どうしても避ける方法がない。わたしはこの幽霊――まず幽霊とでもいうのほかはありますまい。この幽霊のために再三再四妨害されて、実に腹が立ってたまらないので、もうこうなったら根くらべ意地くらべの決心で、来年も重ねて試験を受けようと思っていたところが、二、三日前に郷里の父から手紙が来て、今度こそはどうしても帰れというんです。この正月の約束があるから、わたしももう強情を張り通すわけにもいかないのと、もう一つ、わたしに強い衝動をあたえたのは、父の手紙にこういうことが書いてあるんです。たとい無理に試験を通過したところで、弁護士という職業を撰むことは、お前の将来に不幸をまねく基《もと》であるらしく思われるから、もう思い切って帰郷して、なにか他の職業を求めることにしろ。お前として今までの志望を抛棄するのは定めて苦痛であろうと察せられるが、お前にばかり強《し》いるのではない、わたしも今年かぎりで登録を取消して弁護士を廃業する。」
「なぜでしょう。」と、わたしは思わず喙
前へ 次へ
全40ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング