躊躇しましたが、それでも正直に答えました。
「さあ。わたしは幽霊というものについて、研究したこともありませんが、まあ信じない方ですね。」
「そうでしょうね。」と、山岸はうなずきました。「わたしにしても信じたくないから、君なぞが信じないというのは本当だ。」
 彼はそれぎりで黙ってしまいました。今日《こんにち》ではわたしも商売柄で相当におしゃべりをしますが、学生時代の若い時には、どちらかといえば無口の方でしたから、相手が黙っていれば、こっちも黙っているというふうで、二人は街路樹の落葉を踏みながら、無言で麹町通りの半分以上を通り過ぎると、山岸はまた俄かに立ちどまりました。
「須田君、うなぎを食いませんか。」
「え。」
 わたしは山岸の顔をみました。たった今、四谷で茶を飲んだばかりで、又すぐにここで鰻を食おうというのは少しく変だと思っていると、それを察したように彼は言いました。
「君は家で夕飯を食ったでしょうが、わたしは午後に出たぎりで、実はまだ夕飯を食わないんですよ。あのコーヒー店で何か食おうと思ったが、ごたごたしているので止《や》めて来たんです。」
 なるほど彼は午後から外出していたのです。それでまだ夕飯を食わずにいるのでは、四谷で西洋菓子を二つぐらい食ったのでは腹の虫が承知しまいと察せられました。それにしても、鰻を食うのは贅沢です。いや、金廻りのいい彼としては別に不思議はないかも知れませんが、われわれのような学生に取っては少しく贅沢です。今日では方々の食堂で鰻を安く食わせますが、その頃のうなぎは高いものと決まっていました。殊に山岸がこれからはいろうとする鰻屋は、ここらでも上等の店でしたから、わたしは遠慮しました。
「それじゃあ、あなたひとりで食べていらっしゃい。わたしはお先へ失敬します。」
 行きかけるのを、山岸は引止めました。
「それじゃあいけない。まあ、附き合いに来てくれたまえ。鰻を食うばかりじゃない、ほかにも少し話したいことがあるから。いや、嘘じゃない。まったく話があるんだから……。」
 断り切れないで、私はとうとう鰻屋の二階へ連れ込まれました。

     二

 ここで山岸とわたしとの関係を、さらに説明しておく必要があります。
 山岸はわたしと同じ下宿屋に住んでいるという以外に、特別にわたしに対して一種の親しみを持っていてくれるのは、二人がおなじ職業をこころ
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