宿人もみな認めているのでした。堀川の家《うち》では、伊佐子さんが姉で、京都へ行っている長男は弟だそうです。伊佐子さんは廿一の年に他へ縁付いたのですが、その翌年に夫が病死したので、再び実家へ戻って来て、それからむなしく七、八年を送っているという気の毒な身の上であることを、わたし達も薄々知っていました。容貌《きりょう》もまず十人並以上で阿母《おっか》さんとは違ってなかなか元気のいい活溌な婦人でしたが、気のせいか、その蒼白い細おもてがやや寂しく見えるようでした。
山岸は三十前後で、体格もよく、顔色もよく、ひと口にいえばいかにも男らしい風采の持主でした。その上に、郷里の実家が富裕であるらしく、毎月少なからぬ送金を受けているので、服装もよく、金づかいもいい。どの点から見ても七人の止宿人のうちでは彼が最も優等であるのですから、伊佐子さんが彼に眼をつけるのも無理はないと思われました。いや、彼女が山岸に眼をつけていることは、奥さんも内々承知していながら、そのまま黙許しているらしいという噂もあるくらいですから、今ここで山岸の口から伊佐子さんのことを言い出されても、私はさのみ怪しみもしませんでした。勿論、妬むなどという気はちっとも起りませんでした。
「伊佐子さんは酒を飲むんですか。」と、わたしも笑いながら訊きました。
「さあ。」と、山岸は首をかしげていました。「よくは知らないが、おそらく飲むまいな。私にむかっても、酒を飲むのはおよしなさいと忠告したくらいだから……。」
「でも、酒を飲まないと、伊佐子さんに嫌われると言ったじゃありませんか。」
「あははははは。」
彼があまりに大きな声で笑い出したので、四組ほどの他の客がびっくりしたようにこっちを一度に見返ったので、わたしは少しきまりが悪くなりました。茶を飲んで、菓子を食って、その勘定は山岸が払って、二人は再び往来へ出ると、大きい冬の月が堤の松の上に高くかかっていました。霽れた夜といっても、もう十一月の初めですから、寒い西北の風がわれわれを送るように吹いて来ました。
四谷見附を過ぎて、麹町の大通りへさしかかると、橋ひとつを境にして、急に世間が静かになったように感じられました。山岸は消防署の火の見を仰ぎながら、突然にこんなことを言い出しました。
「君は幽霊というものを信じますか。」
思いも付かないことを問われて、わたしもすこしく返答に
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