と、延津弥は繰返して礼を言った。
 我が思う壺にはまったので、千生は内心得意であった。

     二

 千生はそれから小半時《こはんとき》ほども話して帰ると、入れちがいに今戸の中田屋という質屋の亭主金助が来た。金助は晦日《みそか》まえで、蔵前《くらまえ》辺に何かの商売用があって出て来たついでに、延津弥の家へちょっと立寄ったのである。表向きは独り者といっても、延津弥がこうした旦那の世話になっているのは、その当時において珍しいことでもなかった。
 金助は二階の六畳へ通された。きょうは晦日のお手当を持って来たのであるから、延津弥は取分けて愛想よく彼を迎えた。かれはお熊に言い付けてかの牡丹餅を持ち出させた。
「ああ、ここにも牡丹餅があるね。きょうは内でも食わされた。」と、金助は笑った。
「まあ、ここのも一つ食べてください。まさかに毒もはいっていませんから。」
 女にすすめられて、金助はその牡丹餅を一つ食った。延津弥も食った。晦日まえで忙しいというので、金助は長居もせずに帰った。事件はこれから出来《しゅったい》したのである。
 金助はそれから二、三ヵ所の用達しを済ませて、その日の七つ(午後
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