ます。何事もわたくしの不届きで、重々恐れ入りました。」
これに因《よ》って察せられる通り、千生はよくよく意気地《いくじ》のない、だらしのない人間で、最初は身に覚えのない罪を恐れ、後には女にあやつられて、魂のない木偶《でく》の坊のように踊らされていたのである。
事件の輪郭はこれで判った。その以上の秘密は延津弥の自白に俟《ま》つのほかはない。しかも延津弥はその後の消息不明であった。きびしい町方の眼をくぐって、遠いところへ落ち延びてしまったのか、あるいは自分でいう通り、隅田川に身を沈めて、その亡骸《なきがら》は海へ押流されてしまったのか。それは永久の謎として残されていた。
前後の事情によって想像すると、延津弥は千生の母に対して最初は反感を懐《いだ》いていたが、十両の金を持って来たというのを聞いて、俄かに悪心をきざして、それを巻き上げることを案出したのであろう。それは殆ど明白であるが、千生の母をなぜ殺したかということに就いては、明白の回答は与えられていない。
最初のうちは千生の母もだまされて、三両五両を延津弥の言うがままに引出されていたが、後にはそれを疑って是非とも我が子に逢わせてくれと言い、その捫着《もんちゃく》から延津弥が殺意を生じたのであろうと解釈する者もある。しかし八月二十一日の頃には千生を自分の家に隠まっていたのであるから、どうしても逢わされないという事もない筈である。あるいは母を殺して千生に家督を相続させ、自分も千鳥のおかみさんとして乗込むつもりであったろうという。その方がやや当っているらしいが、それにしても母を殺すのは余りに残忍であるように思われる。
次は延津弥と虎七との関係である。小梅の寺のそばで、延津弥とお兼とが何か争っているところへ、虎七が偶然に通りあわせて、延津弥を助けてお兼を絞め殺し、それを種にして延津弥をいろいろ脅迫していたらしい。生きていれば死罪又は獄門の罪人であるから、女の手に葬られたのは未だしもの仕合せであるかも知れない。
千生は自分の不心得から母が殺されるようになったので、重き罪科《ざいか》にも行わるべきところ、格別のお慈悲を以って追放を命ぜられた。
七月二十九日の牡丹餅を食った者は江戸中にたくさんあったが、これほどの悲劇を生み出したものは、この物語の登場人物に限られていた。
底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「富士」
1936(昭和11)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
2007年5月29日修正
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