千鳥の店の話によると、お兼はせがれ長之助のゆくえ不明を苦に病んで、この頃は浅草の観音へ夜詣《よまい》りをする。観音堂は眼と鼻のあいだの近い処であるが、時にはいっ刻《とき》ぐらいを過ぎて帰ることもある。当人は占い者へ廻ったとか、菩提寺の和尚さまに相談に行ったとか言っていたそうである。但しかの通源寺はお兼の菩提寺ではなかった。お兼の頸にまかれていたのは、有り触れた瓶《かめ》のぞきの買い手拭で、別に手がかりとなるべき物ではなかった。
 せがれの居どころは判らず、女あるじは急死したのであるから、千鳥の奉公人らも途方にくれた。お兼の兄の小兵衛は千住の宿《しゅく》で同商売をしているので、それが駈け付けて来て万事の世話をすることになった。もちろん町内の人びとも手伝って、まずはこの店相当の葬式を出したのは、二十四日の九つ(正午十二時)であった。その葬式がやがて出ようとする時、長之助の千生が蒼い顔をしてふらりと帰って来た。
「やあ、いいところへ息子が帰った。」
 人びとはよろこんで、早速かれを施主《せしゅ》に立たせようとしたが、それは許されなかった。店先にあつまる会葬者の群れの中に、手先の一人もとうから入り込んでいて、千生はすぐに引っ立てられて行った。まさかに親殺しではあるまいが、今戸の中田屋の一件がまだ解決していないので、あるいはその係合《かかりあ》いではないかという噂であった。
 番屋へ牽《ひ》かれた千生は、根が度胸のない人間であるから手先に嚇《おど》されて何もかも正直に申立てたので、捕《と》り方は直ぐに金龍山下へむかったが、清元の師匠はもう影を隠して、小女ひとりがぼんやりと留守番をしていた。お熊の申立てによると、延津弥も千鳥の葬式にゆくと言って、身支度をして出たままで帰らないという。おそらく田原町まで行く途中、長之助が挙げられた噂を聞いて、千鳥へも行かず、自宅へも帰らず、どこかへ逃亡したのであろうと察せられた。
 それから三日目の夜である。橋場の渡し番庄作のせがれ庄吉が近所へ遊びに行って、四《よ》つ(午後十時)に近い頃に帰って来ると、渡し小屋から少し距れた川端に誰かの話し声がきこえた。暗いので顔は見えないが、その声が男と女であることは直ぐに判ったので、年のわかい庄吉は一種の好奇心から足音を忍ばせて近寄った。かれは柳のかげに隠れて窺っていると、男は小声に力をこめて言った。
「じ
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