久松のような丁稚《でっち》が這入って来た。丁稚は大きい風呂敷包を卸《おろ》して椽《えん》に腰をかけた。どこへか使《つかい》に行く途中と見える。彼は人に見られるのを恐れるように、なるたけ顔を隠して先《ま》ず牡丹餅を食った。それから汁粉を食った。銭を払って、前垂で口を拭いて、逃げるように狐鼠狐鼠《こそこそ》と出て行った。
 講武所風の髷《まげ》に結って、黒木綿の紋附、小倉の馬乗袴《うまのりばかま》、朱鞘《しゅざや》の大小の長いのをぶっ込んで、朴歯《ほおば》の高い下駄をがら付かせた若侍《わかざむらい》が、大手を振って這入って来た。彼は鉄扇《てっせん》を持っていた。悠々と蒲団の上に座って、角細工《つのざいく》の骸骨《がいこつ》を根付《ねつけ》にした煙草入《たばこい》れを取出した。彼は煙を強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽《らいさんよう》の詩を吟じた。
 町の女房らしい二人|連《づれ》が日傘を持って這入って来た。彼らも煙草入れを取出して、鉄漿《おはぐろ》を着けた口から白い煙を軽く吹いた。山の手へ上って来るのは中々|草臥《くたび》れるといった。帰りには平河
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