れならばお染には限らない。お夏でもお俊《しゅん》でも小春でも梅川でもいい訳《わけ》であるが、お染という名が一番可愛らしく婀娜気《あどけ》なく聞える。猛烈な流行性を有《も》って往々に人を斃《たお》すようなこの怖るべき病に対して、特にお染という最も可愛らしい名を与えたのは頗《すこぶ》る面白い対照である、流石《さすが》に江戸児《えどっこ》らしい所がある。しかし例の大虎列剌《おおこれら》が流行した時には、江戸児もこれには辟易《へきえき》したと見えて、小春とも梅川とも名付親になる者がなかったらしい。ころり[#「ころり」に傍点]と死ぬからコロリだなどと智慧《ちえ》のない名を付けてしまった。
 既にその病がお染と名乗る以上は、これに※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]着《とりつ》かれる患者は久松でなければならない。そこでお染の闖入《ちんにゅう》を防ぐには「久松留守《ひさまつるす》」という貼札《はりふだ》をするがいいということになった。新聞にもそんなことを書いた。勿論、新聞ではそれを奨励《しょうれい》した訳ではなく、単に一種の記事として昨今こんなことが流行すると報道したのであるが、それがいよいよ一
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