は近所に住んでいて、昔からおてつの家とは懇意《こんい》にしていた。維新の当時、おてつ牡丹餅は一時閉店するつもりで、その形見といったような心持で、店の土瓶《どびん》や茶碗などを知己の人々に分配した。O君の阿父さんも貰った。ところが、何かの都合からおてつは依然その営業をつづけていて、私の知っている頃までやはりおてつ牡丹餅の看板を懸けていたのである。
 汁粉屋の茶碗というけれども、さすがに維新前に出来たものだけに、焼《やき》も薬《くすり》も悪くない。平仮名《ひらがな》でおてつと大きく書いてある。私は今これを自分の茶碗に遣《つか》っている。しかしこの茶碗には幾人の唇が触れたであろう。
 今この茶碗で番茶を啜《すす》っていると、江戸時代の麹町が湯気の間から蜃気楼《しんきろう》のように朦朧《もうろう》と現れて来る。店の八つ手はその頃も青かった。文金島田《ぶんきんしまだ》にや[#「や」に傍点]の字の帯を締めた武家の娘が、供《とも》の女を連れて徐《しず》かに這入って来た。娘の長い袂《たもと》は八つ手の葉に触れた。娘は奥へ通って、小さい白扇《はくせん》を遣っていた。
 この二人の姿が消えると、芝居で観る久松のような丁稚《でっち》が這入って来た。丁稚は大きい風呂敷包を卸《おろ》して椽《えん》に腰をかけた。どこへか使《つかい》に行く途中と見える。彼は人に見られるのを恐れるように、なるたけ顔を隠して先《ま》ず牡丹餅を食った。それから汁粉を食った。銭を払って、前垂で口を拭いて、逃げるように狐鼠狐鼠《こそこそ》と出て行った。
 講武所風の髷《まげ》に結って、黒木綿の紋附、小倉の馬乗袴《うまのりばかま》、朱鞘《しゅざや》の大小の長いのをぶっ込んで、朴歯《ほおば》の高い下駄をがら付かせた若侍《わかざむらい》が、大手を振って這入って来た。彼は鉄扇《てっせん》を持っていた。悠々と蒲団の上に座って、角細工《つのざいく》の骸骨《がいこつ》を根付《ねつけ》にした煙草入《たばこい》れを取出した。彼は煙を強く吹きながら、帳場に働くおてつの白い横顔を眺めた。そうして、低い声で頼山陽《らいさんよう》の詩を吟じた。
 町の女房らしい二人|連《づれ》が日傘を持って這入って来た。彼らも煙草入れを取出して、鉄漿《おはぐろ》を着けた口から白い煙を軽く吹いた。山の手へ上って来るのは中々|草臥《くたび》れるといった。帰りには平河
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