、発育の力は実に目ざましいもので、茎はずんずん[#「ずんずん」に傍点]と伸《のび》てゆく。蕾は日ましに膨《ふく》らんでゆく。今ではもう十数輪の白い花となって、私の書棚を彩《いろど》っている。
殆ど絶望のように思われた水仙は、案外立派に発育して、花としての使命を十分果した。K君の忰は花とならずして終った。春の寒い夕《ゆうべ》、電灯の燦《さん》たる光に対して、白く匂いやかなるこの花を見るたびに、K君の忰の魂のゆくえを思わずにはいられない。
二 団五郎
新聞を見ると、市川団五郎が静岡で客死《かくし》したとある。団五郎という一俳優の死は、劇界に何らの反響もない。少数の親戚や知己は格別、多数の人々は恐らく何の注意も払わずにこの記事を読み過したであろう。しかも私はこの記事を読んで、涙をこぼした一人《いちにん》である。
団五郎と私とは知己でも何でもない。今日まで一度も交際したことはなかった。が、私の方ではこの人を記憶している。歌舞伎座の舞台開きの当時、私は父と一所《いっしょ》に団十郎の部屋へ遊びにゆくと、丁度わたしと同年配ぐらいの美少年が団十郎の傍《そば》に控えていて、私たちに茶を出したり、団十郎の手廻りの用などを足していた。いうまでもなく団十郎の弟子である。
「綺麗な児《こ》だが、何といいます。」
父が訊《き》くと、団十郎は笑って答えた。
「団五郎というのです。いたずら者で――。」
答はこれだけの極めて簡短なものであったが、その笑みを含んだ口吻《くちぶり》にも、弟子を見遣《みや》った眼の色にも、一種の慈愛が籠っていた。この児は師匠に可愛《かあい》がられているのであろうと、私も子供心に推量した。
「今に好い役者になるでしょう。」
父が重ねていうと、団十郎はまた笑った。
「どうですかねえ。しかしまあ、どうにかこうにかもの[#「もの」に傍点]にはなりましょうよ。」
若い弟子に就ての問答はこれだけであった。やがて幕が明くと、団十郎は水戸黄門で舞台に現れた。その太刀持を勤めている小姓は、かの団五郎であった。彼は楽屋で見たよりも更に美しく見えた。私は団五郎が好きになった。
けれども、彼はその後いつも眼に付くほどの役を勤めていなかった。番附をよく調べて見なければ、出勤しているのかいないのか判らない位であった。その中《うち》に私もだんだんに年を取った。団五郎に対す
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