書の飜刻が甚だ少い。
 したがって、古書を読もうとするには江戸時代の原本を尋ねなければならない。その原本は少い上に、価も廉《やす》くない。わたしは神田の三久(三河屋久兵衛)という古本屋へしばしばひやかしに行ったが、貧乏書生の悲しさ、読みたい本を見付けても容易に買うことが出来ないのであった。金さえあれば、おれも学者になれるのだと思ったが、それがどうにもならなかった。
 わたしにかぎらず、原本は容易に獲られず、その価もまた廉くない関係から、その時代には書物の借覧ということが行われた。蔵書家に就てその蔵書を借り出して来るのである。ところが、蔵書家には門外不出を標榜している人が多く、自宅へ来て読むというならば読ませて遣《や》るが、貸出しは一切断るというのである。そうなると、その家を訪問して読ませてもらうのほかはない。
 日曜日のほかに余暇のないわたしは、それからそれへと紹介を求めて諸家を訪問することになったが、それが随分難儀な仕事であった。由来、蔵書家というような人たちは、東京のまん中にあまり多く住んでいない。大抵は場末の不便なところに住んでいる。電車の便などのない時代に、本郷小石川や本所深川
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