ぶっていない。姉は小さい扇を額にかざしている。かれらは幕のあいだに木戸の外を散歩しているのである。劇場内に運動場を持たないその頃の観客は、窮屈な土間に行儀好くかしこまっているか、茶屋へ戻って休息するか、往来をあるいているかの外はないので、天気のいい日にはぞろぞろとつながって往来に出る。帽子をかぶらずに、紙捻りの太い鼻緒の草履をはいているのは、芝居見物の人であることが証明されて、それが彼らの誇りでもあるらしい。少年も芝居へくるたびに必ず買うことに決めているらしい辻占せんべいと八橋との籠をぶら下げて、きわめて愉快そうに徘徊している。かれらにかぎらず、すべて幕間の遊歩に出ている彼らの群は、東京の大通りであるべき京橋区新富町の一部を自分たちの領分と心得ているらしく、すれ合い摺れちがって往来のまん中を悠々と散歩しているが、角の交番所を守っている巡査もその交通妨害を咎《とが》めないらしい。土地の人たちも決して彼らを邪魔者とは認めていないらしい。
やがて舞台の奥で木の音がきこえる。それが木戸の外まで冴えてひびき渡ると、遊歩の人々は牧童の笛をきいた小羊の群のように、皆ぞろぞろと繋がって帰ってゆく。茶
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