「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》をきた立派な老人である。これこそほんとうに昔の錦絵からぬけ出して来たかと思われるような、いかにも役者らしい彼の顔、いかにも型に嵌《はま》ったような彼の姿、それは中村|芝翫《しかん》である。同時に、本花道《ほんはなみち》からしずかにあゆみ出た切髪《きりかみ》の女は太宰の後室|定高《さだか》で、眼の大きい、顔の輪廓のはっきりして、一種の気品を具《そな》えた男まさりの女、それは市川団十郎である。大判司に対して、成駒屋の声が盛んに湧くと、それを圧倒するように、定高に対して成田屋、親玉の声が三方からどっと起る。
 大判司と定高は花道で向い合った。ふたりは桜の枝を手に持っている。
「畢竟《ひっきょう》、親の子のというは人間の私、ひろき天地より観るときは、おなじ世界に湧いた虫」と大判司は相手に負けないような眼をみはって空嘯《うそぶ》く。
「枝ぶり悪き桜木は、切って接ぎ木をいたさねば、太宰の家が立ちませぬ」と、定高は凛《りん》とした声でいい放つ。
 観客はみな酔ってしまったらしく、誰ももう声を出す者もない。少年も酔ってしまった。かれは二時間にあまる長い一幕の終るまで身動きもしなかった。

 その島原の名はもう東京の人から忘れられてしまった。周囲の世界もまったく変化した。妹脊山の舞台に立ったかの四人の歌舞伎俳優のうちで、三人はもう二十年も前に死んだ。わずかに生き残るものは福助の歌右衛門だけである。新富座も今度の震災で灰となってしまった。一切の過去は消滅した。
 しかも、その当時の少年は依然として昔の夢をくり返して、ひとり楽《たのし》み、ひとり悲《かなし》んでいる。かれはおそらくその一生を終るまで、その夢から醒める時はないのであろう。



底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年10月16日第1刷発行
   2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
   1924(大正13)年4月初版発行
初出:「随筆」
   1924(大正13)年1月号
※原題は「歌舞伎の夢」。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
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