けて、おれが勝負に勝ちさえすればきっとおまえを連れ戻しに来るから、しばらくここに辛抱しろと言い聞かせましたが、お定は泣いて承知しません。承知しないのが当り前でございます。叔父はたいそう怒りまして、親のためには身を売る者さえある。これほど頼んでも肯《き》かないならば唯は置かないといって、勿論、おどし半分ではありましょうが、ふところから小刀のようなものを出して娘の目のまえに突きつけたので、お定もふるえ上がりました。そこへ善兵衛も上がって来まして、泣き声が近所へきこえては悪いというので、お定に猿轡《さるぐつわ》をはませて、押入れのなかへ監禁してしまったのでございます。この善兵衛というのは叔父と同じ年ごろで、表向きは堅気の商人《あきんど》のように見せかけながら、半分はごろつきのような男であったそうですから、女をかどわかしたりすることには馴れていたのかも知れません。
 それでまず一匹の大きい蜘蛛を譲ってもらいまして、叔父はその晩すぐに勝負に出かけますと、一度は勝ちましたが二度目に負けました。それはお春が雷に撃たれた晩で、よい辰の家では娘の帰りが遅いので心配をはじめました。旦那の近江屋も案じていました。そんなわけで勝負はいつもより早く終ったのですが、叔父はやはり家へは帰りませんで、どこかの貸座敷へ行って酔い倒れてしまったのでございます。人間もこうなっては仕様がありません。譲ってもらった蜘蛛が思いのほかに強くないので、叔父は失望して相模屋へ掛合いに行きますと、善兵衛は相手になりません。もともと生き物の勝負であるから、向うがこっちよりも強い虫を持って来ればかなわない、わたしの持っている虫だとてきっと勝つとは限らないという返事でございます。それでも叔父はぐずぐず言うので、それではわたしの虫を捕ってくる場所を教えてやるから、おまえが行って勝手に捕るがいい。しかしその場所は秘密であるからめったに教えられないと、善兵衛がまた焦らしました。
 ここらでもう大抵は目が醒めそうなものですが、あくまでも逆上せ切っている叔父は、またうかうかとそれに乗せられて……。もうお話をするのも忌《いや》になります。叔父は自分のむすめを品物かなんぞのように心得て、その秘密の場所を教えてくれるならば、妹娘をわたすと約束してしまったのでございます。そうして、姉を連れ出したと同じような手段で、妹のお由を誘い出しました。しかし今度はお由が近所の湯屋へ行く途中に待っていて、姉さんは布袋屋に奉公しているふう[#「ふう」に傍点]ちゃん――わたくしの兄でございます。――と一緒に、大木戸の相模屋にかくれているから、わたしはこれから捉《つか》まえに行く。それでも相手は二人だから逃がすと困る。わたしがふうちゃんを押えるから、おまえは姉さんを捉まえてくれといって、うまくお由を連れ出したのだそうでございます。これは年のわかいお由の嫉妬心を煽って、やすやすと連れて行く手段であったものと想像されます。お由が善兵衛の家へ連れ込まれたときには、お定はもうそこの二階にはいなかったのでございます。
 こうして、ふたりの娘を自分の方へ取上げてしまった善兵衛は、叔父を案内して家を出ました。善兵衛はあしたにしろと言ったのですが、叔父はどうしても承知しない。暗い時ではいけないから昼間にしろと言っても、叔父はきかない。そこで、蝋燭を用意して一緒に行くことになった――と、善兵衛自身はこう言うのですが、嘘か本当か判りません。ともかくも暗い夜道を千駄ヶ谷の方角へたどって行きまして、広い草原のなかを探しあるいて、ここらの土のなかには強い袋蜘蛛がたくさんに棲んでいると教えたので、叔父は小さい蝋燭のひかりを頼りに、そこらを照らして見ると、善兵衛は足もとに転がっていた大きい切石を拾って……。後に善兵衛の申立てによると、初めから叔父を殺そうとして連れ出したのではなく、ふと足もとに大きい石のあるのを見て、俄かにそんな料簡《りょうけん》を起したのだということでしたが、実際はどうでございましょうか。いずれにしても、ここの蜘蛛を捕って行ったところで、きっと勝つかどうだか判らない。それをまた、かれこれとうるさく言って来て、娘をかえせの何のと騒ぎ立てられてはいよいよ面倒であるから、いっそ人知れずに殺してしまえという気になったに相違ありません。そのときに蝋燭は落ちて消えてしまったので、叔父の印籠の落ちたことを善兵衛は知らなかったのでございます。この印籠がなかったらば、役人たちも蜘蛛のことには気が付かず、詮議もすこしく暇《ひま》どれたことと察しられますが、蜘蛛に係り合いがあると目をつけて、四谷新宿辺でその勝負をするものを探り出したので、案外に早く埒《らち》が明いたわけでございます。
 それにしても、どうして善兵衛の仕業《しわざ》ということが判ったかといいますと、かのよい辰が会津屋へ押掛けて行ったことが岡っ引の耳にはいりまして、よい辰を詮議の結果、叔父が善兵衛の蜘蛛を譲ってもらったということが判りまして、それから善兵衛を呼出して調べると、最初はシラを切っていましたが、家探しをすると二階の押入れにはお由が監禁されている。それやこれやでさすがに包みおおせず、とうとう白状に及んだということでございます。姉のお定は三五郎という山女衒《やまぜげん》――やはり判人《はんにん》で、主に地方の貸座敷へ娼妓《しょうぎ》を売込む周旋をするのだとか申します。――の手へわたして、近いうちに八王子の方へやるつもりであったそうで、もう少しのところであぶないことでございました。
 これで、このお話もまずお仕舞いでございます。――まだ判らないことがあると仰しゃるのでございますか。はあ、成る程。お稽古の帰り道で、お定がわたくしに「およっちゃんと仲よくして頂戴」と言ったこと。――あれは後にお定に聞きますと、別になんでもないことでした。その日、裁縫のお師匠さんのところで、わたくしが間違ってお由の鋏《はさみ》を使ったというので、ひと言ふた言いい合いました。もとより根も葉もないことで、そのままに済んでしまったのですが、お定は年上でもあり、ふだんからおとなしい質《たち》の娘ですから、自分の妹とわたくしとが少しばかり角目立《つのめだ》ったのを気にかけて、帰るときにわざわざそんなことを言ったのだそうです。わたくしは年がゆかず、この通りのぼんやり者ですから、鋏の一件なんぞはとうに忘れてしまって、お定がなぜそんなことを言ったのかと、ただ不思議に思っていたのでございます。物の間違いはこんな詰まらないことから起るのでございましょう。お由がわたくしの兄のことに就いて、自分の姉を疑っていたのはどういうわけかよく判りませんが、それはお由の生れつきで、嫉妬ぶかい質《たち》の女であったらしいのです。その証拠には、後に兄と結婚しましてからも、とかくに嫉妬深いので、兄もずいぶん持て余していたようでございました。
 お定は婿を貰いましたが、産後の肥立ちが悪くて早死にを致しました。兄の夫婦ももうこの世にはおりません。生き残っているものはわたくしだけでございますが、その当時の悲しい恐ろしい思い出が今も頭にありありと刻《きざ》まれていますので、忰や孫たちにもやかましく申聞かせまして、ほかの道楽はともあれ、勝負事だけは決してさせない事にいたしております。
 余談でございますが、この蜘蛛についてはまだお話があります。
 かのお春の旦那で、近江屋という質屋の亭主もやはり気違いのようになりました。それはある日のこと、蜘蛛を入れて置く印籠筒の蓋がゆるんでいたのでしょう、蜘蛛が畳の上に這い出していたのを、女中の一人がうっかり踏みつけて殺してしまったのでございます。さあ、大変。亭主は烈火のように怒りまして、その女中をきびしく叱った上に打《ぶ》ったり蹴ったりしたとかいうので、女中はくやしいと思ったのか、申訳がないと思ったのか、裏の井戸へ身をなげて死にました。そうなると、亭主もさすがに後悔したのでしょう、その後はなんだか気が変になりまして、夜も昼もその女中のすがたが自分の眼の前にあらわれるとか言って狂い出して、仕舞いには自分もおなじ井戸へ身を投げたという噂を聞きました。
 会津屋といい、善兵衛といい、お春といい、近江屋といい、皆それぞれの変死を遂げたのは、きっと蜘蛛のたたりに相違ないと、世間ではその頃もっぱら言い触らしたそうでございます。蜘蛛の祟《たた》りかどうだか判りませんが、ともかくもみんなが蜘蛛の夢を見ていたのは事実でございましょう。まったく怖ろしい夢でございました。



底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1927(昭和2)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
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