って来ました。
「まあちゃん。」
 わたくしを呼ぶ声がふだんと変っているので、なんだかぎょっとして振返ると、母は息をはずませながら小声で言い聞かせました。
「会津屋のさあちゃんが何処《どこ》へか行ってしまったとさ。」
「あら、さあちゃんが……。どうして……。」
 わたしもびっくりしました。

     三

 母の話はこういうのでございます。
 会津屋の姉お定は、きょうのお午《ひる》ごろに妹と一緒にお稽古から帰って、お午の御飯をたべてしまって、それから近所の糸屋へ糸を買いに行くといって出たままで帰って来ない。家でも不審に思って、糸屋へ聞合せにやると、お定はけさから一度も買い物に来ないという。いよいよ不思議に思って、妹のお由のお友達のところを二、三軒たずねて歩いたのですが、お定はやはりどこへも姿を見せないというのです。
 叔父は例の通りに、朝から家を出たぎりですから、叔母ひとりが頻《しき》りに心配しているうちに、夕立が降ってくる、雷が鳴るというわけで、母も妹も不安がますます大きくなるばかり。そのうちに夕立もやんだので、夕《ゆう》の御飯を食べてから、叔母はその相談ながらわたくしの家へ来るつ
前へ 次へ
全48ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング