んがその娘のお春というのを引っ張り出して、それがためにお春が石切横町で雷に撃たれて死んだというので、ここの家《うち》へ文句を言いに来たんだが、わたしはなんにも知らない事だし、相手がかみなり様じゃあどうにもならないじゃあないか。」
「そうですねえ。」
「たとい叔父さんが引っ張り出したにしても、雷に撃たれたのは災難じゃあないか。自分たちの身状《みじょう》が悪いから、罰《ばち》があたったのさ。」と、叔母は罵るように言いました。「叔父さんが娘を引っ張り出したのか、あいつらが叔父さんを引っ張り出したのか判るものかね。」
 その権幕があまり激しいので、わたくしは怖くなりました。なるほど母のいう通り、叔母は気違いにでもなるのでないかと思うと、なんだか気味が悪くなって、逃げるように早々帰って来ました。
 それから三日ばかり過ぎました。そのあいだに母は毎日二、三度ずつ会津屋を訪ねていましたが、叔父もお定姉妹もやはり姿をみせないのでございます。今日《こんにち》で申せばヒステリーとでもいうのでしょう、叔母は半気違いのようになって家《うち》じゅうの者に当り散らしていました。
「ああしていたら会津屋はつぶれる。」と、母も涙をこぼしていました。
 七月三日の午《ひる》過ぎになって、叔父の姿が見いだされました。叔父は千駄ヶ谷につづいている草原のなかに倒れて死んでいたのでございます。大きい切石で脳天をぶち割られて。……それを考えると今でもぞっとします。その知らせが来たので、会津屋の店の者や、出入りの仕事師や、町内の月番の者や、十人ほど連れ立って、叔父の死骸を引取りに行きました。それを聞いたときには、母は声を立てて泣き出しました。わたくしも泣きました。

     五

 いえ、どうもお話が長くなりまして、定《さだ》めし御退屈でございましょう。これから先のことは、自分が実地を見たわけではなく、あとで聞かされたのでございますから、なるべく掻いつまんで申上げることに致します。
 叔父の頭を石でぶち割ったというのは、その疵口ばかりでなく、血に染みた大きい切石がその近所に捨ててあったのを見て、すぐにそれと覚られたのだそうでございます。叔父がなんでそんな所にうろ付いていたのか、またどうして殺されたのか、誰にも見当が付かなかったのでございますが、やはりその時代でも探偵は相当に行届いていたものと見えまして、検視に
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