で、先方に二晩泊まって、火曜日の朝帰って来るということでしたが、修学旅行以外にはめったに外泊したことのないわたくしですから、ともかくも両親に相談した上で御返事をすることにして、その日は継子さんと別れました。
 それから両親に相談いたしますと、おまえが行きたければ行ってもいいと、親たちもこころよく承知してくれました。わたくしは例のお転婆でございますから、大よろこびで直ぐに行くことにきめまして、継子さんとも改めて打合せた上で、日曜日の午前の汽車で新橋を発ちました。御承知の通りその頃はまだ東京駅はございませんでした。継子さんは熱海へも湯河原へも旅行した経験があるので、わたくしは唯おとなしくお供をして行けばいいのでした。
 お供といって、別に謙遜の意味でも何でもございません。まったく文字通りのお供に相違ないのでございます。というのは、水沢継子さんのお兄さん――継子さんもそう言っていますし、わたくし共もやはりそう言っていましたけれど、実はほんとうの兄さんではない、継子さんとは従兄妹《いとこ》同士で、ゆくゆくは結婚なさるという事をわたくしもかねて知っていたのでございます。そのお兄さんのところへ尋ね
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