い」
「一日も早くというて、それが今年か来年のことか。ここの年季《ねんき》は丸六年、わたしのような孱弱《かよわ》い者は、いつ煩ろうていつ死ぬやら」
「はて、不吉な。気の弱いにも程がある。ほかの女どものように浮きうきして、晴れやかな心持ちで面白そうに世を送れ。これから五年六年といえば長いようだが、過ぎてしまうのは夢のうちだ」と、半九郎は諭《さと》すように言い聞かせた。
ひとには面白そうに見えるかも知れないが、およそここらに勤めている人に涙の種のない者はない。現にあの市さまの相方のお花女郎も、親の上、わが身の上にいろいろの苦労がある。まして自分のように胸の狭いものは、こののち一日でも面白そうに暮らされよう筈がない。店出しから今日までの短い月日が極楽、この先の長い月日は地獄の暗闇と、自分ももうあきらめているとお染はまた泣きつづけた。
困ったものだと半九郎も思いわずらった。彼はこのいじらしい女をどう処分しようかといろいろに迷った末に、あくる朝、坂田市之助の宿所をたずねると、市之助はめずらしく宿にいた。源三郎もいた。
過日《このあいだ》の晩、半九郎は途中で源三郎に約束して、あしたはきっと兄
前へ
次へ
全49ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング