るか、兄の市之助に子細を打明けて、弟の仇と名乗って討たるるか。二つに一つのほかはあるまい」
彼も大きな溜め息をついて、頽《くず》れるように河原に坐ってしまった。
お染は途方にくれた。それでも一生懸命の知恵を絞り出して、男にここを逃げろと言った。この場の有様を見知っている者は自分ひとりであるから、ほかの者の来ないうちに早くここを立ち退いてしまえと勧めた。
「何を馬鹿な」と、半九郎は嘲《あざけ》るように答えた。「菊地半九郎はそれほど卑怯な男でない。さしたる意趣《いしゅ》も遺恨《いこん》もないに、朋輩ひとりを殺したからは、いさぎよく罪を引受けるが武士の道だ。ともかくも市之助に逢って分別を決める」
彼は河原づたいに花菱へ引っ返した。お染も痛む足を引摺りながらその後についてゆくと、市之助はもう寝床へはいっていた。
「市之助、起きてくれ」
屏風の外からそっと声をかけると、市之助は眠そうな声で答えた。
「誰だ。はいれ」
「女はいぬか」
こう言いながら屏風をあけた半九郎の顔は、水のように蒼かった。鬢《びん》も衣紋《えもん》も乱れていた。うす暗い灯の影でそれをじっ[#「じっ」に傍点]と見た市之助は、相方のお花を遠ざけて差向かいになった。
「半九郎。どうした。人でも斬ったか」と、市之助は小声できいた。
半九郎の着物の膝は、血しぶきにおびただしく染められているのを、彼は早くも見付けたのであった。
「推量の通りだ。半九郎は人を斬って来た」
「誰を斬った。お染を斬ったか」
「いや、女でない。源三郎を斬った」
市之助もぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]とした。彼は寝衣《ねまき》の膝を立て直して又きいた。
「なぜ斬った。口論か」
「おれも短気、源三郎も短気、ゆるしてくれ」
果し合いの始末を聞かされて、市之助はいよいよ驚いた。
「お身と源三郎とが河原へ駈け出したら、お染はなぜ早くおれに教えてくれなんだか。しかしそれを今更いっても返らぬ。そこで半九郎、お身はこれからどうする積りだ」
「仇と名乗って討たれに来た。殺してくれ」
「弟の仇……見逃す法はない。ここで討つのは当然だが、おれが頼む、逃げてくれ」と、市之助は言った。「お身とおれは竹馬《ちくば》の友だ。源三郎とても同様で、互いに意趣も遺恨もあっての果し合いでない。いわば当座の行きがかりで、討つ者も討たるる者も詰まりは不時の災難だ。さっき弟
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