あることを知っていた。遊里《ゆうり》の歓楽を一時の興と心得ている市之助の眼から見れば、立派な侍が一人の売女に涙をかけて、多寡《たか》が半月やひと月の馴染みのために、家重代《いえじゅうだい》の刀を手放そうなどというのは余りに馬鹿ばかしくも思われた。彼は繰り返して涙もろい友達に忠告を試みた。
「して、半九郎。お身は全くその鶯に未練はないな」
「未練はない。くどくも言うようだが、あまりに哀れだから放してやりたい。ただそれだけのことだ」
「それならば猶更のこと。お身がその鶯にあくまでも未練が残って、買い取って我が物にしたいと言っても、おれは友達ずくで意見したい。ましてその鶯には未練も愛着《あいぢゃく》もなく、ただ買い取って放してやるだけに、武士《ぶし》が大切の刀を売るとは、あまりに分別が至らぬように思わるるぞ。なさけも善根《ぜんこん》も銘々の力に能《あた》うかぎりで済ませればよし、程を過ぎたら却《かえ》って身の禍《わざわ》いになる。この中《じゅう》のおれの行状から見たら、ひとに意見がましいことなど言われた義理ではないが、おれにはまたおれの料簡《りょうけん》がある。鶯はただ鳴くだけのことで、藪《やぶ》にあろうが籠《かご》にあろうが頓着《とんぢゃく》せぬ。花を眺め、鳥を聴くも、所詮は我れに一時の興があればよいので、その上のことまでを深く考えようとはせぬ。その上に考え詰めたら、心を痛むる、身を誤る。人間は息のあるうちに、ゆく先ざきで面白いことを仕尽くしたらそれでよい。どうだ、半九郎。もう一度よく思い直して見ろ」
「では、どうでも肯《き》いてくれぬか」
「肯かれぬ。また、肯かぬのがお身のためだ」
 相手がどうしても取り合わないので、半九郎は失望して帰った。帰る途中で、彼は市之助の意見をもう一度考えてみた。市之助の議論を彼はいちいち尤《もっと》もとは思わなかったが、籠から鶯を放してやるだけに、武士が家重代の刀を売る。たとい自分には何の疚《やま》しい心がないとしても、思いやりのない世間の人間はいろいろの評判を立てるに相違ない。菊地半九郎は売女《ばいじょ》にうつつをぬかして大小を手放したとただ一口《ひとくち》にいわれては、武士の面目にもかかわる。支配頭への聞えもある。なるほど市之助が承知してくれないのも無理はないかとも思われたので、彼は刀を売ることを躊躇した。
 こうなると、お染の顔を見
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