た。男は何者であるか、女は何者であるか、もとより判らない。一行のうちに弓をよく引く者があったので、向う岸の立ち木にむかって二本の矢を射込んで帰った。
あくる日、廻り路をして向う岸へ行き着いて、きのうの矢を目じるしに捜索すると、石の洞門は塵《ちり》に封じられていた。松明《たいまつ》をとって進み入ると、深さ四丈ばかりで行き止まりになってしまって、他には抜け路もないらしく、結局なんの獲《う》るところもなしに引き揚げて来た。
蔡はこの話をして、自分が烏魯木斉にあるあいだに目撃した奇怪の事件は、これをもって第一とすると言った。わたしにも判らないが、太平広記に、天人が飛天夜叉《ひてんやしゃ》を捕えて成敗する話が載せてある。飛天夜叉は美女である。蔡の見たのも或いはこの夜叉のたぐいであるかも知れない。
喇嘛教
喇嘛教《らまきょう》には二種あって、一を黄教といい、他を紅教といい、その衣服をもって区別するのである。黄教は道徳を講じ、因果を明らかにし、かの禅家《ぜんけ》と派を異《こと》にして源を同じゅうするものである。
但し紅教は幻術《げんじゅつ》を巧みにするものである。理藩院《りはんいん》の尚書を勤める留《りゅう》という人が曾て西蔵《ちべっと》に駐在しているときに、何かの事で一人の紅教喇嘛に恨まれた。そこで、或る人が注意した。
「彼は復讐をするかも知れません。山登りのときには御用心なさい」
留は山へ登るとき、輿や行列をさきにして、自分は馬に乗って後から行くと、果たして山の半腹に至った頃に、前列の馬が俄かに狂い立って、輿をめちゃめちゃに踏みこわした。輿は無論に空《から》であった。
また、烏魯木斉に従軍の当時、軍士のうちで馬を失った者があった。一人の紅教喇嘛が小さい木の腰掛けをとって、なにか暫く呪文を唱えていると、腰掛けは自然にころころと転がり始めたので、その行くさきを追ってゆくと、ある谷間《たにあい》へ行き着いて、果たしてそこにかの馬を発見した。これは著者が親しく目撃したことである。
案ずるに、西域《せいいき》に刀を呑み、火を呑むたぐいの幻術を善くする者あることは、前漢時代の記録にも見えている。これも恐らくそれらの遺術を相伝したもので、仏氏の正法《しょうほう》ではない。それであるから、黄教の者は紅教徒を称して、あるいは魔といい、あるいは波羅門《ばらもん》という。す
前へ
次へ
全15ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング