府を勤める楊景震《ようけいしん》が罪をえて軍台に謫戍《てきじゅ》の身となった。彼は古北の城楼に登ると、楼上に一つのあかがねの匣《はこ》があって、厳重に封鎖してある。伝うるところによれば、明《みん》代の総兵|戚継光《せきけいこう》の残して置いたもので、ここへ来た者がみだりに開いて看《み》てはならないというのである。
 楊はしばらくその匣を撫でまわしていたが、やがて匣の上に震《しん》の卦《け》が金字で彫ってあるのを見いだして、彼は笑った。
「卦は震で、おれの名の震に応じている。これはおれが開くべきものだ」
 遂にその匣の蓋をひらくと、たちまちにひと筋の火箭《ひや》が飛び出して、むこう側の景徳廟の正殿の柱に立った。それから火を発して、殿宇も僧房もほとんど焼け尽くした。

   九尾蛇

 茅八《ぼうはち》という者が若いときに紙を売って江西に入った。その土地の深山に紙廠《ししょう》が多かった。廠にいる人たちは、日が落ちかかると戸を閉じて外へ出ない。
「山の中には怖ろしい物が棲んでいる。虎や狼ばかりでない」
 茅もそこに泊まっているうちに、ある夜の月がひどく冴え渡った。茅は眠ることが出来ないので
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