すでに黒魚のために食われてしまったのであるぞ」
 妻は大いにおどろいて、なにとぞ夫のために仇を報いてくだされと、天師にすがって嘆いた。張天師は壇に登って法をおこなうと、果たして長さ数丈ともいうべき大きい黒魚が、正体をあらわして壇の前にひれ伏した。
「なんじの罪は斬《ざん》に当る」と、天師はおごそかに言い渡した。「しかし知県に化けているあいだにすこぶる善政をおこなっているから、特になんじの死をゆるしてやるぞ」
 天師は大きい甕《かめ》のなかにかの魚を押し籠めて、神符をもってその口を封じ、県衙《けんが》の土中に埋めてしまった。
 そのときに、魚は甕のなかからしきりに哀れみを乞うと、天師はまた言い渡した。
「今は赦《ゆる》されぬ。おれが再びここを通るときに放してやる」
 張天師はその後ふたたび帰安県を通らなかった。

   狗熊

 清《しん》の乾隆《けんりゅう》二十六年のことである。虎※[#「亡+おおざと」、第3水準1−92−61]《こきゅう》に乞食があって一頭の狗熊《くゆう》を養っていた。熊の大きさは川馬《せんば》のごとくで、箭《や》のような毛が森立している。
 この熊の不思議は、物をい
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