、眼《ま》のあたりに、その水鬼の姿を見たのは今が初めてであるので、張も今更のように怖ろしくなって、それを同宿の人びとに物語ると、そのなかに米あきんどがあって、自分もかつて水鬼の難に出逢ったことがあると言った。その話はこうである。
「わたしがまだ若い時のことでした。嘉興《かこう》の地方へ米を売りに行って、薄暗いときに黄泥溝《こうでいこう》を通ると、なにしろそこは泥ぶかいので、わたしは水牛を雇って、それに乗って行くことにしました。そうして、溝の中ほどまで来かかると、泥のなかから一つの黒い手が出て来て、不意にわたしの足を掴んで引き落そうとしました。こんな所では何事が起るかも知れないと思って、わたしもかねて用心していたので、すぐに足を縮めてしまうと、その黒い手はさらに水牛の足をつかんだので、牛はもう動くことが出来ない。わたしもおどろいて救いを呼ぶと、往来の人びとも加勢に駈けつけて、力をあわせて牛を牽《ひ》いたが、牛の四足は泥のなかへ吸い込まれたようになって、曳《ひ》けども押せども動かない。百計尽きて思いついたのが火牛《かぎゅう》のはかりごとで、試みに牛の尾に火をつけると、牛も熱いのに堪えられな
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