いた僵尸《きょうし》のたぐいである。雲南地方には金鉱が多い。その鉱穴に入った坑夫のうちには、土に圧されて生き埋めになって、あるいは数十年、あるいは百年、土気と金気に養われて、形骸はそのままになっている者がある。それを乾※[#「鹿/几」、313−6]子と呼んで、普通にはそれを死なない者にしているが、実は死んでいるのである。
 死んでいるのか、生きているのか、甚だあいまいな乾※[#「鹿/几」、313−8]子なるものは、時どきに土のなかから出てあるくと言い伝えられている。鉱内は夜のごとくに暗いので、穴に入る坑夫は額《ひたい》の上にともしびをつけて行くと、その光りを見てかの乾※[#「鹿/几」、313−10]子の寄って来ることがある。かれらは人を見ると非常に喜んで、烟草《たばこ》をくれという。烟草をあたえると、立ちどころに喫ってしまって、さらに人にむかって一緒に連れ出してくれと頼むのである。その時に坑夫はこう答える。
「われわれがここへ来たのは金銀を求めるためであるから、このまま手をむなしゅうして帰るわけにはゆかない。おまえは金の蔓《つる》のある所を知っているか」
 かれらは承知して坑夫を案内すると、果たしてそこには大いなる金銀を見いだすことが出来るのである。そこで帰るときには、こう言ってかれらを瞞《だま》すのを例としている。
「われわれが先ず上がって、それからお前を籃《かご》にのせて吊りあげてやる」
 竹籃にかれらを入れて、縄をつけて中途まで吊りあげ、不意にその縄を切り放すと、かれらは土の底に墜ちて死ぬのである。ある情けぶかい男があって、瞞《だま》すのも不憫だと思って、その七、八人を穴の上まで正直に吊りあげてやると、かれらは外の風にあたるや否や、そのからだも着物も見る見る融《と》けて水となった。その臭いは鼻を衝くばかりで、それを嗅いだ者はみな疫病にかかって死んだ。
 それに懲りて、かれらを入れた籃は必ず途中で縄を切って落すことになっている。最初から連れて行かないといえば、いつまでも付きまとって離れないので、いつもこうして瞞すのである。但しこちらが大勢で、相手が少ないときには、押えつけ縛りあげて土壁に倚《よ》りかからせ、四方から土をかけて塗り固めて、その上に燈台を置けば、ふたたび祟りをなさないと言い伝えられている。
 それと反対に、こちらが小人数で、相手が多数のときは、死ぬま
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