入り込んで来たのだといえば、申し訳は立つ。夜が明ければ、女はどこへか立ち去るに相違ないから、その時刻を見計らって帰ることにしなさい」
 なるほどと徐四もうなずいて、その夜を善覚寺で明かすことにした。それで済めば無事であったが、外宿した徐四の兄は夜ふけの寒さに堪えかねて、わが家へ毛皮の衣《きもの》を取りに帰ると、寝床の煖坑の下には男の沓《くつ》がぬいである。見れば、男と女とが一つ衾《よぎ》に眠っている。さてはおれの留守の間に、妻と弟めが不義をはたらいたかと、彼は烈火の怒りに前後をかえりみず、腰に帯びている剣をぬいて、枕をならべている男と女の首をばたばたと斬り落した。
 言うまでもなく、それは兄の思いちがいで、女はかの美少年であった。男は善覚寺の若僧《にゃくそう》であった。
 高僧の弟子にも破戒のやからがあって、かの若僧は徐四の話を洩れ聴いて不埒の料簡を起したらしく、そっと寺ちゅうをぬけ出して徐四の留守宅へ忍び込んだのである。それから先はどうしたのか、勿論わからない。
 あやまって二人を殺したことを発見して、兄はすぐに自首して出た。しかし右の事情であるから、誤殺であることは明白である。美少年と若僧とは不義姦通である。殺したものに悪意なくして、殺された者どもは不義のやからであるというので、兄は無事に釈放された。
 ここに判らないのは、美少年に扮していたかの女の身の上である。官でその首を市《いち》にかけて、心あたりの者を求めたが、誰も名乗って出る者はなかった。
「可哀そうに、あの女はここの家へ死にに来たようなものだ」
 徐四は形見《かたみ》の毛裘や頸飾りを売って、その金を善覚寺に納め、永く彼女の菩提を弔った。

   秦の毛人

 湖広に房山《ぼうざん》という高い山がある。山は甚だ嶮峻で、四面にたくさんの洞窟があって、それがあたかも房《へや》のような形をなしているので、房山と呼ばれることになったのである。
 その山には毛人《もうじん》という者が棲んでいる。身のたけ一丈余で、全身が毛につつまれているので、人呼んで毛人というのである。この毛人らは洞窟のうちに棲んでいるらしいが、時どきに里へ降りて来て、人家の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]や犬などを捕り啖《くら》うことがある。迂闊にそれをさえぎろうとすると、かれらはなかなかの大力で、大抵の人間は投げ出されたり、撲《なぐ
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