は手あたり次第にばたばたと斬り倒した。最後に牙《きば》の長いくちばしの黒い者があらわれたので、彼はそれをも斬り伏せた。もうあとに続く者はない。これで妖怪を残らず退治したかと思うと、彼は大いなる満足と愉快を感じて、すぐに旅館の主人を呼んだ。
 その頃にはもう早い※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《とり》が啼いていた。主人をはじめ家内の者どもが燭を照らして駈けつけて見ると、床には幾個の死骸が横たわっていた。それをひと目見て、人々はおどろいて叫んだ。
「あなたは大変なことをなされました」
 倒れている死骸は、朱の妻や妾や、忰や娘であった。最後に斬られたのは従僕であったらしい。かれらは主人の安否を気づかって、ひそかに様子をうかがいに来たところを、片端から斬り倒されたのであろう。そう判ると、朱は声をあげて嘆いた。
「化け物め。すっかりおれを玩具《おもちゃ》にしやあがった」
 言うかと思うと、彼もそこに倒れたままで息が絶えた。

   水鬼の箒

 張鴻業《ちょうこうぎょう》という人が秦淮《しんわい》へ行って、潘《はん》なにがしの家に寄寓していた。その房《へや》は河に面したところにあった。ある夏の夜に、張が起きて厠《かわや》へゆくと、夜は三更を過ぎて、世間に人の声は絶えていたが、月は大きく明るいので、張は欄干《らんかん》によって暫くその月光を仰いでいると、たちまち水中に声あって、ひとりの人間のあたまが水の上に浮かみ出た。
「この夜ふけに泳ぐ奴があるのかしら」
 不審に思いながら、月あかりに透かしみると、黒いからだの者が水中に立っていた。顔は眼も鼻も無いのっぺらぽう[#「のっぺらぽう」に傍点]で、頸《くび》も動かない。さながら木偶《でく》の坊《ぼう》のようなものである。張はその怪物にむかって石を投げ付けると、彼はふたたび水の底に沈んでしまった。
 事件は単にそれだけのことであったが、明くる日の午後、ひとりの男がその河のなかで溺死したという話を聞いて、さては昨夜の怪物は世にいう水鬼《すいき》であったことを張は初めて覚《さと》った。
 水鬼は命《めい》を索《もと》めるという諺があって、水に死んだ者のたましいは、その身代りを求めない以上は、いつまでも成仏《じょうぶつ》できないのである。したがって、水鬼は誰かを水中に引き込んで、その命《いのち》を取ろうとすると言い伝えられているが
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