には※[#「口+斗」、288−2]蛇《きょうだ》というものがある。この蛇は不思議に人の姓名を識っていて、それを呼ぶのである。呼ばれて応《こた》えると、その人は直ちに死ぬと伝えられている。
そこで、ここらの地方の宿屋では小箱のうちに蜈蚣《むかで》をたくわえて置いて、泊まり客に注意するのである。
「夜なかにあなたの名を呼ぶ者があっても、かならず返事をしてはなりません。ただ、この箱をあけて蜈蚣を放しておやりなさい」
その通りにすると、蜈蚣はすぐに出て行って、戸外にひそんでいるかの蛇の脳を刺し、安々と食いころして、ふたたび元の箱へ戻って来るという。
(宋人の小説にある報寃蛇《ほうえんだ》の話に似ている)。
范祠の鳥
長白山《ちょうはくさん》の醴泉寺《れいせんじ》は宋の名臣|范文正《はんぶんせい》公が読書の地として知られ、公の祠《ほこら》は今も仏殿の東にある。
康煕《こうき》年間のある秋に霖雨《ながあめ》が降りつづいて、公の祠の家根《やね》からおびただしい雨漏りがしたので、そこら一面に湿《ぬ》れてしまったが、不思議に公の像はちっとも湿れていない。
寺の僧らが怪しんでうかがうと、一羽の大きい鳥が両の翼《つばさ》を張ってその上を掩《おお》っていた。翼には火のような光りがみえた。
雨が晴れると共に、鳥はどこへか姿を隠した。
追写真
宋茘裳《そうれいしょう》も国初有名の詩人である。彼は幼いときに母をうしなったので、母のおもかげを偲《しの》ぶごとに涙が流れた。
呉門《ごもん》のなにがしという男がみずから言うには、それには術があって、死んだ人の肖像を写生することが出来る。それを追写真《ついしゃしん》といい、人の歿後数十年を経ても、ありのままの形容を写すのは容易であると説いたので、茘裳は彼に依頼することになった。
彼は浄《きよ》い室内に壇をしつらえさせ、何かの符を自分で書いて供えた。それから三日の後、いよいよ絵具や紙や筆を取り揃え、茘裳に礼拝させて立ち去らせた。
一室の戸は堅く閉じて決して騒がしくしてはならないと注意した。夜になると、たちまち家根瓦に物音がきこえた。
夜半に至って、彼が絵筆を地になげうつ音がかちり[#「かちり」に傍点]ときこえた。家根瓦にも再び物音がきこえた。彼は戸をあけて茘裳を呼び入れた。
室内には燈火が明るく、そこらには絵具が
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