んつうりき》を具《そな》えているらしいのに、なぜかの妖怪どもに今まで屈伏していたのだ」と、李は訊きました。
「わたくしはまだ五百年にしかなりません」と、白衣の老人は答えました。「かの大猿はすでに八百年の劫《こう》を経て居ります。それで、残念ながら彼に敵することが出来なかったのでございます。しかし我々は人間に対して決して禍いをなすものではございません。かの兇悪な猿どもがたちまち滅亡したのは、あなたのお力とは申しながら、畢竟《ひっきょう》は天罰でございます」
「ここを申陽洞と名づけたのは、どういうわけだ」と、李はまた訊きました。
「猿は申《しん》に属します。それで、かれらが勝手にそんな名を付けたので、もとからの地名ではございません」
「おまえらがここへ帰り住むようになったらば、おれに出口を教えてくれ、礼物《れいもつ》などは貰うに及ばない。ただこの娘たちを救って出られればいいのだ」
「それはたやすいことでございます。半時のあいだ眼を閉じておいでなされば、自然にお望みが遂げられます」
李はその通りにしていると、耳のはたには激しい雨風の声がしばらく聞えるようでしたが、やがてその声がやんだので眼を開くと、一匹の大きい白鼠がさきに立って、豕《いのこ》のような五、六匹の鼠がそのあとに従っていました。そこには一つの穴が掘られていて、それから明るい路へ出られるようになっているので、李は三人の娘と共に再びこの世の風に吹かれることになりました。
それからすぐに銭翁の家をたずねて、かのむすめを引き渡すと、翁はおどろき喜んで、かねて触れ出した通りに李を婿にしました。他の二人の娘の家でも、おなじくその娘を贈ることにしたので、李は一度に三人の美女を娶《めと》った上に、あっぱれの大福長者《だいふくちょうじゃ》になりました。その後ふたたびかの場所へ行ってみると、そこらには草木が一面におい茂っているばかりで、むかしの跡をたずねる便宜《よすが》もありませんでした。
牡丹燈記
元《げん》の末には天下大いに乱れて、一時は群雄割拠の時代を現じましたが、そのうちで方谷孫《ほうこくそん》というのは浙東《せっとう》の地方を占領していました。そうして、毎年正月十五日から五日のあいだは、明州府の城内に元宵《げんしょう》の燈籠をかけつらねて、諸人に見物を許すことにしていたので、その宵々《よいよい》の賑わいはひと通りでありませんでした。
元の至正《しせい》二十年の正月のことでございます。鎮明嶺《ちんめいれい》の下《もと》に住んでいる喬生《きょうせい》という男は、年がまだ若いのに先頃その妻をうしなって、男やもめの心さびしく、この元宵の夜にも燈籠見物に出る気もなく、わが家の門《かど》にたたずんで、むなしく往来の人びとを見送っているばかりでした。十五日の夜も三更《さんこう》(午後十一時―午前一時)を過ぎて、往来の人影も次第に稀になった頃、髪を両輪《りょうわ》に結んだ召仕い風の小女が双頭の牡丹燈をかかげて先に立ち、ひとりの女を案内して来ました。女は年のころ十七、八で、翠《あお》い袖、紅《あか》い裙《もすそ》の衣《きもの》を着て、いかにもしなやかな姿で西をさして徐《しず》かに行き過ぎました。
喬生は月のひかりで窺うと、女はまことに国色《こくしょく》ともいうべき美人であるので、我にもあらず浮かれ出して、そのあとを追ってゆくと、女もやがてそれを覚《さと》ったらしく、振り返ってほほえみました。
「別にお約束をしたわけでもないのに、ここでお目にかかるとは……。何かのご縁でございましょうね」
それをしおに、喬生は走り寄って丁寧に敬礼しました。
「わたくしの住居はすぐそこです。ちょっとお立ち寄り下さいますまいか」
女は別に拒《こば》む色もなく、かの小女をよび返して、喬生の家《うち》へ戻って来ました。初対面ながら甚だ打ち解けて、女は自分の身の上を明かしました。
「わたくしの姓は符《ふ》、字《あざな》は麗卿《れいけい》、名は淑芳《しゅくほう》と申しました。かつて奉化《ほうか》州の判《はん》を勤めて居りました者の娘でございますが、父は先年この世を去りまして、家も次第に衰え、ほかに兄弟もなく、親戚《みより》もすくないので、この金蓮《きんれん》とただふたりで月湖《げつこ》の西に仮住居をいたして居ります」
今夜は泊まってゆけと勧めると、女はそれをも拒まないで、遂にその一夜を喬生の家に明かすことになりました。それらの事は委《くわ》しく申し上げません。原文には「甚だ歓愛を極《きわ》む」と書いてございます。夜のあける頃、女はいったん別れて去りましたが、日が暮れるとまた来ました。金蓮《きんれん》という召仕いの小女がいつも牡丹燈をかかげて案内して来るのでございます。
こういうことが半月ほども続くうちに、喬生のとなりに住む老人が少しく疑いを起しまして、境いの壁に小さい穴をあけてそっと覗いてみると、紅《べに》や白粉《おしろい》を塗った一つの骸骨が喬生と並んで、ともしびの下《もと》に睦まじそうにささやいているのです。それをみて老人はびっくりして、翌朝すぐに喬生を詮議すると、喬生も最初は堅く秘して言わなかったのですが、老人に嚇《おど》されてさすがに薄気味悪くなったと見えて、いっさいの秘密を残らず白状に及びました。
「それでは念のために調べて見なさい」と、老人は注意しました。「あの女たちが月湖の西に住んでいるというならば、そこへ行ってみれば正体がわかるだろう」
なるほどそうだと思って、喬生は早速に月湖の西へたずねて行って、長い堤《どて》の上、高い橋のあたりを隈なく探し歩きましたが、それらしい住み家は見当りません。土地の者にも訊き、往来の人にも尋ねましたが、誰も知らないという。そのうちに日も暮れかかって来たので、そこにある湖心寺《こしんじ》という古寺にはいって暫く休むことにしました。そうして、東の廊下をあるき、さらに西の廊下をさまよっていると、その西廊のはずれに薄暗い室《へや》があって、そこに一つの旅※[#「木+親」、第4水準2−15−75]《りょしん》が置いてありました。旅※[#「木+親」、第4水準2−15−75]というのは、旅先で死んだ人を棺に蔵《おさ》めたままで、どこかの寺中にあずけて置いて、ある時機を待って故郷へ持ち帰って、初めて本当の葬式をするのでございます。したがって、この旅※[#「木+親」、第4水準2−15−75]に就いては昔からいろいろの怪談が伝えられています。
喬生は何ごころなくその旅※[#「木+親」、第4水準2−15−75]をみると、その上に白い紙が貼ってあって「故奉化符州判女《もとのほうかふしゅうはんのじょ》、麗卿之柩《れいけいのひつぎ》」としるし、その柩の前には見おぼえのある双頭の牡丹燈をかけ、又その燈下には人形の侍女《こしもと》が立っていて、人形の背中には金蓮の二字が書いてありました。それを見ると、喬生は俄かにぞっ[#「ぞっ」に傍点]として、あわててそこを逃げ出して、あとをも見ずに我が家へ帰って来ましたが、今夜もまた来るかと思うと、とても落ちついてはいられないので、その夜は隣りの老人の家へ泊めてもらって、顫《ふる》えながらに一夜をあかしました。
「ただ怖れていても仕方がない」と、老人はまた教えました。「玄妙観《げんみょうかん》の魏法師《ぎほうし》は故《もと》の開府の王真人《おうしんじん》のお弟子で、おまじないでは当今第一ということであるから、お前も早く行って頼むがよかろう」
その明くる朝、喬生はすぐに玄妙観へたずねてゆくと、法師はその顔をひと目みて驚いた様子でした。
「おまえの顔には妖気が満ちている。一体ここへ何しに来たのだ」
喬生はその坐下に拝して、かの牡丹燈の一条を訴えると、法師は二枚の朱《あか》いお符《ふだ》をくれて、その一枚は門《かど》に貼れ、他の一枚は寝台に貼れ。そうして、今後ふたたび湖心寺のあたりへ近寄るなと言い聞かせました。
家へ帰って、その通りにお符を貼って置くと、果たしてその後は牡丹燈のかげも見えなくなりました。それからひと月あまりの後、喬生は袞繍橋《こんしゅうきょう》のほとりに住む友達の家をたずねて、そこで酒を飲んで帰る途中、酔ったまぎれに魏法師の戒めを忘れて、湖心寺のまえを通りかかると、寺の門前にはかの金蓮が立っていました。
「お嬢さまが久しく待っておいでになります。あなたもずいぶん薄情なかたでございますね」
否応《いやおう》いわさずに彼を寺中へ引き入れて、西廊の薄暗い一室へ連れ込むと、そこには麗卿が待ち受けていて、これも男の無情を責めました。
「あなたとわたくしは素《もと》からの知合いというのではなく、途中でふと行き逢ったばかりですが、あなたの厚い心に感じて、遂にわたくしの身を許して、毎晩かかさずに通いつめ、出来るかぎりの真実を竭《つく》して居りましたのに、あなたは怪しい偽道士《えせどうし》のいうことを真《ま》に受けて、にわかにわたくしを疑って、これぎりに縁を切ろうとなさるとは、余りに薄情ななされかたで、わたくしは深くあなたを怨んで居ります。こうして再びお目にかかったからは、あなたをこのままに帰すことはなりません」
女は男の手を握って、柩《ひつぎ》の前へゆくかと思うと、柩の蓋《ふた》はおのずと開いて、二人のすがたはたちまち隠れました。蓋は元のとおりに閉じられて、喬生は柩のなかで死んでしまったのです。
となりの老人は喬生の帰らないのを怪しんで、遠近《おちこち》をたずね廻った末に、もしやと思って湖心寺へ来てみると、見おぼえのある喬生の着物の裾がかの柩の外に少しくあらわれているので、いよいよ驚いてその次第を寺の僧に訴え、早速にかの柩をあけてあらためると、喬生は女の亡骸《なきがら》と折り重なって死んでいました。女の顔はさながら生けるが如くに見えるのです。寺の僧は嘆息して言いました。
「これは奉化州判の符という人の娘です。十七歳のときに死んだので、仮りにその遺骸をここに預けたままで、一家は北の方へ赴きましたが、その後なんのたよりもありません。それが十二年後のこんにちに至って、そんな不思議を見せようとは、まことに思いも寄らないことでした」
なにしろそのままにしては置かれないというので、男と女の死骸を蔵《おさ》めたままで、その柩を寺の西門の外に埋めました。ところが、その後にまた一つの怪異が生じたのでございます。
陰《くも》った日や暗い夜に、かの喬生と麗卿とが手をひかれ、一人の小女が牡丹燈をかかげて先に立ってゆくのをしばしば見ることがありまして、それに出逢ったものは重い病気にかかって、悪寒《さむけ》がする、熱が出るという始末。かれらの墓にむかって法事を営み、肉と酒とを供えて祭ればよし、さもなければ命を亡《うしな》うことにもなるので、土地の人びとは大いに懼《おそ》れ、争ってかの玄妙観へかけつけて、なんとかそれを取り鎮めてくれるように嘆願すると、魏法師は言いました。
「わたしのまじないは未然に防ぐにとどまる。もうこうなっては、わたしの力の及ぶ限りでない。聞くところによると、四明山《しめいざん》の頂上に鉄冠道人《てっかんどうじん》という人があって、鬼神を鎮める法術を能《よ》くするというから、それを尋ねて頼んでみるがよかろうと思う」
そこで、大勢は誘いあわせて四明山へ登ることになりました。藤葛《ふじかずら》を攀《よ》じ、渓《たに》を越えて、ようやく絶頂まで辿りつくと、果たしてそこに一つの草庵があって、道人は几《つくえ》に倚り、童子は鶴にたわむれていました。大勢は庵の前に拝して、その願意を申し述べると、道人はかしらをふって、わたしは山林の隠士で、翌《あす》をも知れない老人である。そんな怪異を鎮めるような奇術を知ろう筈はない。おまえ方は何かの聞き違えで、わたしを買いかぶっているのであろうと言って、堅く断わりました。いや、聞き違えではない、玄妙観の魏法師の指図であると答えると、道人はさてはとうなずきました。
「わたしはもう六十年も山を下ったことがないのに
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