前にいう通り、その賊の人相風俗は大抵判っているので、丞相は官兵に命じてすぐにその捜査に取りかからせ、省城の諸門を閉じて詮議したが、遂にそのゆくえが知れずに終った。
その翌年になって、賊は紹興《しょうこう》地方で捕われて、逐一《ちくいち》その罪状を自白したが、かれは案外の小男であった。彼は当夜の顛末についてこう語った。
「最初に城内に入り込みまして、丞相府の東の方に宿を仮りていました。その晩は非常に酔って帰って来て、前後不覚のていで門の外に倒れているのを、宿の主人が見つけて介抱して、ともかくも二階へ連れ込まれましたが、寝床へはいると無暗に嘔《は》きました。それから夜の更けるのを待って、二階の窓からそっと抜け出して、檐《のき》づたいに丞相の府内へ忍び込みましたが、その時には俳優が舞台で用いる付け髯を顔いっぱいに付けて、二尺あまりの高い木履《ぽくり》を穿《は》いていました。そうして、品物をぬすみ出すと、それを近所の塔の上に隠して置いて、ふたたび自分の宿へ戻って寝ていると、夜の明けた頃に官兵が捜査に来ました。しかし、わたくしが昨夜泥酔して帰ったことは宿の主人も知っていますし、第一わたくしは一寸法師といっても好いほどに背が低い上に、髯などはちっとも生やしていないで、人相書とは全く違っているものですから、官兵は碌々に取調べもしないで立ち去ってしまったのです。それから五、六日経って、詮議もよほどゆるんだ頃に、塔の上からかの品々を持ち出しました」
蛮語を解する猴
これは杜彦明《とげんめい》という俳優の話である。
杜が江西地方からかえって韶州《しょうしゅう》に来て、旅宿に行李《こうり》をおろすと、その宿には先客として貴公子然たる青年が泊まっていた。かれは刺繍《ぬい》のある美しい衣服を着て、玉を飾りにした帽をかぶっていたが、ただその穿き物だけが卑しい皮履《かわぐつ》であるので、杜もすこしく不審に思ったが、一夕自分の室《へや》へ招待して酒をすすめると、貴公子の方でもその返礼として杜を招いて饗応した。
招かれて、その室へ行ってみると、柱に一匹の小さい猴《さる》がつながれていて、見るから小ざかしげに立ち廻っていた。貴公子はやがてその綱を解いて放すと、猴はよく人に馴れていて、巧みに酒席のあいだを周旋し、主人が蛮語で何か命令すると、一々聞き分けて働くのである。杜もおどろいてその子細を訊くと、貴公子は笑いながら説明した。
「実はわたしの家の侍女《こしもと》が子を生みまして、その子はひと月ばかりで死にました。そのときにこの小猴も丁度生まれましたが、親猴を猟犬《かりいぬ》に噛み殺されてしまったので、夜も昼も母を慕って啼き叫んでいるのが何分にも可哀そうでしたから、侍女に言いつけて育て上げさせました。人間の乳を飲んで育ったせいか、人にもよく馴れ、また自然に蛮語をおぼえて、こうしてわたしの用を達してくれるのです」
成程そうかと、杜も思った。彼は間もなくかの貴公子に別れ、清《せい》州へ行って呉《ご》という役人の家に足をとどめていると、ある日、ひとりの旅人が一匹の猴を連れて城内に入り込んだという報告があった。
「それは世間に名の高い大泥坊だ」と、呉は言った。「まず何げなく、人の家を訪問して、家内の勝手を見さだめて置いて、夜になってから其の猴を放して盗みを働かせるのだ。大方おれの所へも来るだろうから、その猴めを奪い取って、世間のために害を除かなければならない」
翌日になると、果たして呉に面会を求めに来た者がある。杜がそっと隙き見をすると、彼はまさしく先日の貴公子で、きょうも猴を連れていた。呉は面会して、かれと一緒に飯を食って、その席上でかの猴を貰いたいと言い出すと、彼も初めは堅く拒《こば》んだ。
「呉《く》れるのが嫌ならば、ここでその猴の首を斬ってみせろ」と、呉は言った。
呉は同知《どうち》という官職を帯びて、大いに勢力を有しているので、彼も強《し》いて争うわけにも行かなくなったと見えて、結局渋々ながらその猴を呉に譲ることになった。呉は謝礼として白金十両を贈った。
貴公子は帰るときに猴にむかって、なにか蛮語で言い聞かせて立ち去った。彼はそこに蛮語の通訳が聞いていることを知らなかったのである。通訳は呉に訴えた。
「あいつは猴にむかって斯《こ》う言い聞かせたのです。お前は当分飲まず食わずにいろ。そうすればきっと縄を解いて放すに相違ない。おれは十里さきの小さい寺にかくれて待っているから、すぐにそこへ逃げて来いと……」
そこで念のために果物や水をあたえると、猴は決して口にしないのである。さらに人をつかわして窺わせると、果たしてその主人もまだ立ち去らないで、そこらに徘徊していることが判ったので、呉はすぐにその猴を撃ち殺させた。
陰徳延寿
むかし
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