《うち》に婚礼がありまして、親類から珠《たま》の耳環《みみわ》を借りました。この耳環は銀三十錠の値いのある品だそうでございます。今日それを返して来るように言い付けられまして、わたくしがその使いにまいる途中で、どこへか落してしまいましたので……。今さら主人の家へも帰られず、いっそ死のうと覚悟をきめました」
青年はここへ来る途中で、それと同じような品を拾ったのであった。そこでだんだんに訊いてみると確かにそれに相違ないと判ったが、先刻から余ほどの時間が過ぎているので、その帰りの遅いのを怪しまれては悪いと思って、彼はその女を主人の家へ連れて行って、委細のわけを話して引き渡した。主人は謝礼をするといったが、彼は断わって帰った。
それから一年ほどの後、彼は二十八人の道連れと一緒に再びこの渡し場へ来かかると、途中で一人の女に出逢った。女はかの耳環を落した奉公人で、その失策から主人の機嫌を損じて、とうとう暇を出されて、ある髪結床へ嫁にやられた。その店は渡し場のすぐ近所にあるので、女は先年のお礼を申し上げたいから、ともかくも自分の家へちょっと立ち寄ってくれと、無理にすすめて彼を連れて行った。夫もかねてその話を聞いているので、女房の命の親であると尊敬して、是非とも午飯《ひるめし》を食って行ってくれと頼むので、彼はよんどころなくそこに居残ることになって、他の一行は舟に乗り込んだ。
残された彼は幸いであった。他の二十七人を乗せた舟がこの渡し場を出ると間もなく、俄かに波風があらくなったので、舟はたちまち顛覆して、一人も余さずに魚腹に葬られてしまった。
青年は不思議に命を全《まっと》うしたばかりでなく、三十を越えても死なないで、無事に天寿を保った。この渡しは今でも温《うん》州の瑞安《ずいあん》にある。
女の知恵
姚忠粛《ちょうちゅうしゅく》は元《げん》の至元《しげん》二十年に遼東《りょうとう》の按察使《あんさつし》となった。
その当時、武平《ぶへい》県の農民|劉義《りゅうぎ》という者が官に訴え出た。自分の嫂《あによめ》が奸夫と共謀して、兄の劉|成《せい》を殺したというのである。県の尹《いん》を勤める丁欽《ていきん》がそれを吟味すると、前後の事情から判断して、劉の訴えは本当であるらしい。しかも死人のからだにはなんの疵《きず》のあとも残っていないのである。さりとて、毒殺したよ
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