し、水はひさしく退《ひ》かないので、朝野の人びとも不安を感じた。そこで朝命として天師を召され、潮をしりぞける祷《いの》りをおこなうことになった。時の天師は三十五代の観妙真人《かんみょうしんじん》である。天師が至ると、潮はたちまち退いたので、理宗帝は大いに喜び、多大の下され物があった。真人が法を修したのは四月十三日であった。
 然るに、元《げん》の大徳二年の春、潮が塩官《えんかん》州をおかして、氾濫すること百余里、その損害は実におびただしく、潮は城市にせまって久しく退かないので、土地の有力者は前にいった宋代の例を引いて、江浙行省《こうせつこうしょう》に出願し、天師をむかえて潮を退けることになった。時の天師は三十八代の凝神広教真人《ぎょうしんこうきょうしんじん》である。
 やがて使者が迎いに行ったが、真人はその聘礼《へいれい》の方法が正しくないというので動かず、遂に行くことを謝絶した。そこで宮中の道士をくだして、鉄符をもって加持させることになった。道士は塩官州に到着したが、その行李《こうり》がまだ混雑しているので、取りあえず持参の鉄符を水のほとりに立てると、俄かに浪は立ち騒いで、神の加護が
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