大作も現われて居りますが、今晩のお催しの御趣意から観《み》ますると、戯曲は勿論例外であり、小説の方面にも多く採るべきものを見いだし得ないのは残念でございます。就いてはまず『続夷堅志』を主として、それに元代諸家の作を付け加えることにとどめて置きました」
梁氏の復讐
戴十《たいじゅう》というのはどこの人であるか知らないが、兵乱の後は洛陽の東南にある左家荘《さかそう》に住んで、人に傭《やと》われて働いていた。いわゆる日傭《ひよう》取りのたぐいで、甚だ貧しい者であった。
金《きん》の大定《たいてい》二十三年の秋八月、ひとりの通事(通訳)が畑の中に馬を放して豆を食わせていた。それは通事が所有の畑ではなく、戴が傭われて耕作している土地であるので、戴はその狼藉《ろうぜき》を見逃がすわけには行かなかった。彼はその馬を叱って逐《お》い出した。
それをみて通事は大いに怒った。彼は策《むち》をもって戴をさんざんに打ち据えて、遂に無残に打ち殺してしまったので、戴の妻の梁氏《りょうし》は夫の死骸を営中へ舁《か》き込んで訴えた。通事は人殺しの罪をもって捕えられた。
この通事は身分の高い家に仕えて
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